今年の初夏に、家の壁の中に蜂が巣を作った。

「キイロスズメバチ」

国内で最も攻撃性の高いスズメバチらしく、威嚇行動を取らずに刺してくることもあるらしい。
そんな隣人を迎えた私は、家の横の雑草を刈って作った紫蘇やバジルを蜂の威嚇音がこわくて収穫できずにいた。

そんな風に気をつけながら生活している中、父が薪下ろしの作業中に刺されてしまった。

手の甲を1箇所バチンと刺された父は、家に帰った後にぶっ倒れて前歯と意識を失ったらしい。
薪に気づいてお礼の電話を掛けた際に上の事故を知った。
初めて聞いた父の弱い声に心底しんぱいしてびっくりした。
今の状態、出ている症状、過去に刺されたことはあるかなど、病院にかかるには十分な症状があることを確認する私に
父は
「蕁麻疹がでているから大丈夫だ。」
と、蕁麻疹に対して絶大な信頼を寄せている。

蕁麻疹が出てるって、重症じゃない?

とりあえず直接症状を確かめるために父の家に帰ると、滅多に見ることのないようなまだら模様をたたえた父がいた。

あまりのマーブル加減に少し笑いが出る。

「ねー、やっぱりこれ重症だと思うよ。
病院行こうよ。」

「いや、蕁麻疹が出てるから免疫が働いてるってことだし、大丈夫だよ。」

「でも、一時的な記憶がないんでしょ?
意識が飛んでるってことは結構重症だし、一応病院で見てもらった方がいいって。」

「いや、蕁麻疹が出てるから(ry」

子どもの頃に野山を駆け回って蜂に刺されまくった世代の体の丈夫さと自然治癒力に対する信頼感は半端ない。
かくいう私も、この自然治癒力最強論の下に育ったにんげん。
本人がそう言うなら。と、一晩様子を見ることにして帰宅した。

家に帰ると、いつもよりたくさんの蜂が空を飛んでいた。
おそらく、蜂達の中では熊が出たと大騒ぎになっているのだろう。
父は熊みたいに背が高い。
蜂からみたらこわい生き物に見えたのかもしれない。蜂のざわめきに急に不安になった。

一歩間違えたら父は急死していたかもしれない。

こんなに小さな生き物で、
生態も知っている生き物に、
いざというときに敵わない。

蜂はなんて強い生き物で、ヒトはなんて弱い生き物なんだろう。
それに、私は蜂を隣人のように受け入れ、親しみのようなものを感じて過ごしていたのもあり、勝手に裏切られたような気分になった。
蜂に対して、なんで刺したの?とどうにもならない気持ちが湧いた。

蜂の巣を駆除してしまおうか。

そんな考えもよぎったが、そもそも蜂は悪いことをしていない。
彼等は自身の生き方に沿って過ごしているだけなのだ。
自然とは、そういうものだ。
だから私は初夏に巣を壊すことも、蜂を駆除することもしなかった。
お互いにただその場所で生きているだけ。

さいわい、父は重篤にならずに済んだ。
父の体が丈夫でありかつ、刺されたときの対処法を知っていたから自然の中で死ななかった。
至ってシンプルなやりとりのように感じた。

そんな父でも老いには敵わないのか、蕁麻疹がぶり返し病院にかかることにした。

診察から帰ってきていの一番に

「次はダメかもしれないな。笑」

と笑う父に、

「かくじつにね笑」

と返すわし。

命に別状がなかったからこそのブラックジョーク。

笑えてよかったと心から思い、笑えなかったとしても、私は自然の中にいることをより実感するだけなんだろうなと思った。

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