見出し画像

2023年春の"駿府城公園"に行ってきた。

春の駿府城公園。

春先の駿府城公園は桜が凄いらしい。
ただ今年2023年の桜が早咲きだった。

昨年は桜を見ようと思ったら、もはや葉桜。
公園の葉桜の下で美味しいサンドイッチを食べた。

静岡市清水区にあるSUNRISEさんの
美味しいサンドイッチを
清水船越堤公園で食べたのでした

それも、良いけれどもね。

…が、しかーし!

今年は満開の桜をゆっくり見たい!
しかも駿府城公園で見たい!

…と言う訳で、昨年より早く動いたものの、それを上回る早咲きスピード。

毎日毎日開花情報を見ては、あー!となり、
SNSに向かって、
もうちょっと待ってー!
キレイなのは喜ばしいんですけど待ってー!
…と、ワタシの心はそんな言葉で咲き乱れておりました。

ほらほら、この夜桜。
もう最高じゃないですか~

静岡大学の学生さんのお写真。
素晴らしきかな~♪

…3月末でこんなに咲いているのか…

尊い!

…散っちゃいそう…

風情がありますなぁ~

…あと何日桜はワタシを待っててくれるのか…



日々こんな感じでドキドキしておりました。

そんなこんなで、
今回は駿府城公園へ行ったお話をさせていただきます。


■駿府城公園とさくらももこ先生■

ワタシが最初に駿府城公園に行きたいと思った理由は、
ちびまる子ちゃんで「フェスタしずおかに行く」と言う話がありまして。

コミックだと11巻。
アニメだと第2期31話。
…でございます。

【フェスタしずおかが開催されたのが駿府城公園だったから行ってみたかった】
…って言うミーハー魂。

まぁ~だいたいそんな感じですよ、ワタクシ。

フェスタしずおかについては、こちらを参照くださいませ↓

フェスタしずおかは、1972年から1999年にかけての毎年8月に静岡県静岡市葵区の駿府公園(のちの駿府城公園)で3日間行われていた、郷土芸能と歌謡ショー中心のイベント。2017年にも「超ドSフェスタしずおか」として開催されている。

Wikipediaさんより


なので、桜を見に訪れる前に来てるんですよね、駿府城公園に。

その時は、

『この場所で"フェスタしずおか"が開催されて、
胃腸の弱い山根くんが「(城)みちるぅー!」と叫び、
山本リンダが「困っちゃう♪」って言ってたんだなぁ~』

…で、結構満足だったんですけどもね。

ちなみにエッセイ「ももこの話」にも、"フェスタしずおか"の事は描かれております。


このエッセイの中でも、会場となった駿府城公園の事を少し触れていて、

昔はここに駿府城が建っていたのだ。徳川家康やその他の人もこの駿府城から富士山をみて喜んだりしていたのだろう。それが時を経て城はなくなりこうして公園に生まれ変わり、リンダを見るために人が集まるようになるとは当時お城を建築した職人さん達も全く予想していなかったであろう。

"ももこの話"より引用・抜粋

昔はここに駿府城が建っていた…
城はない…


それで改めて知るのです。
長い歴史の中で生き抜いてきた人々とその場所の姿を。
そして、そこに立ってらっしゃる家康公の存在感を。


■駿府城公園■


駿府城跡地 中堀内、本丸と二ノ丸部分を整備した公園。

"駿府城公園"と言う名称は2012年に改称されたもので、地域の方にはまだ以前の"駿府公園"で定着されている様でございます。

なので実は『ももこの話』でも"駿府公園"と書かれています(1998年発行)。

初めて訪れた時は、そんな事が書いてあったことをすっかり忘れ、
「あれっ城は…天守は…外は城っぽいけど、公園じゃん。あ、でも"公園"って書いてあるから間違いではないの、か」と。
地域の方が馴染みある"駿府公園"と言う方が、個人的にもしっくり来たんですよねぇ。

まぁ何をもって"城"なのか…って事ですけども。


そしてもうちょっと前に遡ると、
戦後に公園として整備されて市民アンケートで"駿府公園"になった、と。

そしてもっと前にいくと、明治時代の廃城令により一部の石垣以外の建物で現存するものはなく、近年色々と再建されている、と。


そんな駿府城公園が、現在の公園の姿に至るまでどういう歴史を辿ったのか。それを知ることが出来るのが、

東御門・巽櫓(ひがしごもん・たつみやぐら) です。
東御門は1996年に復元
され資料館として公開されていますので、こちらで色々と知る事が出来ます。
ちなみに巽櫓は1989年。


その他に復元されたのが…

・紅葉山庭園(もみじやまていえん)…2001年
(
→こちらに関しては"復元"と言う言葉が正しいのかは判りませんが)

坤櫓(ひつじさるやぐら)…2014年


さてここで公式さんの地図ご覧ください。

駿府城公園公式さんより

火事で焼け、江戸幕府になり天守を作る理由もなくなり、
謀反が起こるのを怖れた明治政府は廃城令を出し、それに従い解体して埋められ、
荒廃し、
静岡市が名乗りを上げるも戦争。
歩兵隊の拠点となり内堀は埋められ、
戦後、再び静岡市が所有し現在に至る。

…と言う様な、歴史の荒波に揉まれてる感が凄い駿府城公園。


それは、この天守台発掘調査からも感じられるものがあるのです。



・天守台発掘調査

静岡市では、かつて天守が建っていた跡地の整備方針を決定するため、事前に天守台の正確な位置や大きさ、石垣の残存状況などの学術的データを得ることを目的に、発掘調査を行うこととしました。発掘調査は、2016年8月に開始し、2020年3月まで掘削による調査を行いました。2020年4月からは、出土した遺物の整理や調査報告の作成を行っています。

静岡市HPより

発掘調査を行う前は、ここもまっさらな公園の一部だった様です。
掘り終わって、ある程度したら、また埋める…みたいな事をどこかで読んだ気がするんですけど、どうだったかな…気のせいかな…

ただまぁ~判ってない事がいっぱいあるようでして。
下の"早わかり駿府城"の『?』の部分。

静岡市観光交流文化局 歴史文化課さんより拝借

そして、なんと、
家康公築上前の"今川領だった時のモノ"も出土している、と。
今川領だった事に関しては謎らしく"どうやら屋敷があったらしい"みたいな感じなんですよね。

天正期の駿府城の絵も天守閣が色んな形で描かれているようでして、これもまた謎が多い。

ゆくゆくは天守台も再建したいのかなぁ…と思うのですが、整備方針を含め、そう簡単ではなさそうな印象です。

発掘調査現場には、
カラーコーンが置かれてまして、

今川期…黄色
天正期…赤色
慶長期…緑色

…の色分けがされております。


慶長期 天守台の南側
今川期について
天正期と慶長期と。

カラーコーンが
トーンとトントントーンと置かれ、
それはまるで…

オブジェ!

でも、図面がないと何が何やら。

外周をほぼぐる~っと回れる様になってまして、
見渡せるんですけども、ワタシの行く手に、ハチが居ましてね。あぁ何このデジャブ感は。
ハチがどいてくれないので、途中で引き返しました。
ちょうど、家康公の像の裏手を過ぎたあたりでしたかねぇ。
安全第一。

とにもかくにもロマンですよ。
ロマンが眠ってるんですよ。
まだまだ判らない沢山の事。きっと判る日が来る、はず。

さて。
この発掘について『発掘情報館きゃっしる』と言う建物で、最新調査成果を知る事が出来ます。
プレハブの建物なので、見落としがち。
お気をつけくださいませ。

ワタシはズヴァ~リ!
一度見落としました!(ドヤッ


・家康公手植えのみかん


一番最初に気になったのが、家康公手植えのみかん。
静岡県指定天然記念物なんですと。

ちなみに久能山東照宮に分木もされています。

久能山東照宮にあった、お手植えみかん


そもそも家康公が紀州(和歌山)より、献上されたモノを移植した、と言うことらしいです。
"らしい"、と言うのは厳密な記録が残ってないからで、
ただゲノム解析で、紀州のみかんと言うことは判っているから伝承通りでしょう、との事。

この駿府城のお手植えみかんは年末に収穫されて、
地域の方に配ったり、みかんを使ったレシピを募集して商品を作ったり。
今も大活躍の様でございます。

普段は、下記の写真にあるように厳重な柵で守られていまして、家康公の像の近くに、生い茂ってます。


・ 坤櫓(ひつじさるやぐら) 《有料》

干支の"ひつじ"と"さる"の方角にあるから、坤櫓(ひつじさるやぐら)と言うんだそうです。

中に入る時、靴を脱ぎますぞ。
まさか、脱ぐとは思ってなかったので、靴下どうだっけ…と、少々ドキドキいたしました。

施設としては、少し小さめかなぁ、と言う印象なんですが、建物の構えや内部構造、やはり美しいと思うのです。
建物の構造上、安全の為上の階に上がれないのですが、床板と天井板が外してありまして、なかなか見れない櫓の構造が拝めるのがとても良き。

あと、手作り甲冑があったんですよ。
て、手作り!?

今川義元が着用していたとされる
「赤糸毛引威二枚胴具足」
(あかいとけびきおどしにまいどうぐそく)

その赤い甲冑の後ろにある黒い台に、
あの金陀美具足(きんだびぐそく)のレプリカもあるみたいなんですけど、
ワタシが見学している時に、調度、金陀美具足が返ってきて、スタッフさんが、ガシャガシャとセッティングされておりました。
何か、レンタル出来る、、、とか、どうとか。

そんな坤櫓、興味湧きましたら、詳しくはこちらをご覧くださいませ。


"坤櫓"静岡新聞さんより拝借


・紅葉山庭園(もみじやまていえん) 《有料》

駿府城公園の歴史的な背景を活かし、大名庭園に見られるような、遊びと楽しさを基調として創られました。
駿河の国の自然と名勝
を表現した4つの庭を中心に、
春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は椿など、

四季折々の風景を見せる趣きを持った庭園です

するが企画観光局HPより

…と、言う訳で、ここはある種の現世のオリジナルなんですが、ワタシ、結構好きですね。
自然の中で育まれた芸術、自然美とはまた違った良さ。
職人達が守る美、みたいなものを感じれてステキだなぁ、と思います。

途中、ぽつんと茶屋があるんですよねぇ。
その茶屋の利用は入り口で先払いなので、
入り口に居たその時は、今回はいいや、と思ったんですけど、やぁ~これはねぇ、利用したくなるのねぇ。大自然マジックかしら。。。

次回立ち寄る時は、必ずや茶屋にも参りますぞ。

とにかく、、、映える。


・東御門・巽櫓(ひがしごもん・たつみやぐら)《有料》


駿府城公園公式さんより

ここが有料の場所として、圧倒的に展示物が多いです。
ワタシ多分約一時間程かかったと記憶してます。
2021年に展示をリニューアルしたそうで、体験コーナーや映像、模型や出土品、歴史を紐解くと言った、ボリューム満天な場所となってます。

駿府城公園公式さんより拝借

①~⑦のゾーンに分けて、進んで行きます。

各ゾーンの詳しい事は、こちらへ

そして、おっと。こちら忘れちゃいけない。

入り口で、靴、脱ぎます!

さてと。

個人的に、
⑥竹千代手習いの間(復元)が興味深かったです。

こちらは、臨済寺の再現で、駿府城にあったわけではないものですが、
家康公の幼少のモノがこの駿府城にある、
と言う説得力と言いますか、不思議な雰囲気を感じます。

こんなところで勉学してたんかーい!と言う、特別感なのか。
すごいなぁ、神の君は。

ちなみに、臨済寺は、二度の戦火で消失しているのですが、現在は"竹千代手習いの間"も復元されているそうです。
…とは言え、普段は非公開。
年二回特別公開されている、と。

いつか拝見したいものだなぁ~


☆有料施設のお値段☆(2023.6現在)

・坤櫓
大人   100円(団体20名以上   80円)
小人/小・中学生   50円(団体20名以上 40円)

・紅葉山庭園
大人 150円(団体 120円)
小人   50円(団体   40円)

・東御門・巽櫓
大人 200円(団体 160円)
小人   50円(団体    40円)

共通券(東御門・巽櫓、坤櫓、紅葉山庭園)
大人 360円(団体 280円)
小人 120円(団体   90円)

※変更の可能性もございますので、公式さんを確認の上、お立ち寄りくださいませ。


■最初の目的:結局桜は見れたのか■

何だか駿府城公園を物凄い勢いで満喫し、
本来の目的の"桜を見る"と言う目的を通り越し気味になってしまったワタクシは、
慌てて写真をバッシャバッシャと撮っておりますので、ご覧ください。

まず、こちらの西門橋から入って来たんですけど、
静岡駅からだと東御門が近いので、そちらから来る方が多いかなぁ、と思うのですが、
何故西門かと言うと、ワタクシ静岡浅間神社を立ち寄ってから来たからです。

前回のNOTEに書いた後、って事なんですけどもね。


そして、西門の桜、何て言うか…ちょっと散ってる…じゃないですか…

それで心配して公園内を入って行きましたらば、見事なまでの桜。

本丸堀(内堀)近くに散る桜

ホッとしました。咲いてて。
お花見されてる方も多くいらっしゃいました。

そして、QUEENの"We  Will Rock You"をアカペラで歌ってらっしゃる外国籍の方の声が聴こえて参りまして、
何で!?と思ったものでございます。
全然OKだけどもさ。


ズンズンチャ!ズンズンチャ!


こんなに駿府城公園を熱烈に書いてますが、実はそんなに散策するつもりがなかったんですよねぇ。


なぜこうなったかと言うと、坤櫓に居たスタッフさんに
「共通券ありますよ」と言われたんです。

それで、次、いつ来るか判らないし。
次があるかも判らんし…と思って。
共通券をゲットしたことにより、静岡浅間神社からノンストップで駿府城公園散策する事になった、と。そう言うことでございます。

結果的に良かったです。
それは間違いない。


ただ、体力的にですね、朝8時頃から13時手前まで歩き続ける事になり、

静岡浅間神社→駿府城公園/天守台発掘調査→家康公のお手植えみかん→坤櫓→紅葉山庭園→東御門・巽櫓

…と巡り、何となく察していただけるかと思いますが、後半になればなるほど、写真を撮っていない。
今思えば、紅葉山庭園でお茶して一息すれば良かったよなぁ~。
もしくは公園にある、おでん屋さん!


そんなこんなでインプットの嵐に、写真を撮るパワーが避けず。
もはや東御門・巽櫓の写真がないのは、そのせいです。


ただ帰り際、こちらは逃しませんでした♪

静岡まつり(2023.4.1)に合わせて
家康が着用したと伝わる甲冑(かっちゅう)
「金陀美具足」を題材にしたプラモニュメント


そんな訳で、
駿府城公園の歴史について考え学んで、若干合宿スケジュールな詰め込みスタイルでしたが、とても楽しい時間でした。

ワタシが印象に残ってるのは、昭和30年頃の駿府城公園を空から撮影した写真なんですけど。
ネットで見た気がするんですが、ちょっと探しても見つからず、共有は出来ないのですが。

どんな写真だったかと言うと、
まず白黒写真。
城の外壁もなく、堀の水は流れてるけど、ただ広いまっさらな公園、だったんです。
土地の形だけが歴史を語っている様な、そんな写真でした。

今を生きる人々は、
先人達の積み上げたものを消すことも上書きすることも残すことも出来るのだ、と言うのを見た気がしたんです。

どれが良いのか悪いのかは正直判りません。

どう転がろうと、先人達の行き着いたモノを受け止めて、生きていきたいなぁ、とは思いました。

また行こう、駿府城公園に。
きっとまた新しい発見があるはず。


お読みいただいた皆様もお近くに寄られた際は、是非に。

長文お読みいただき
ありがとうございました。

感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?