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禁じられた「妊娠線」

「妊娠」それは経験する女性にとって、あまりにも不思議な体験だ。何年も連れ添ってきた身体が、小さな細胞のために、静かに、そして急速に変化し始める。自分に生物学的な「女性」という機能が備わっていたのだと、初めて実感する。

よくよく考えれば、長年生理をこなしてきたのだ。「妊娠」のために身体が長年エネルギーを使ってきたと思うと、その入念な準備と機能に美しさを感じると同時に、嫌気がさす。小さな頃から「女性」から逃げることは難しい。

妊娠の喜びと同時にやってくるのは、膨大な情報と焦りだ。テクノロジーの時代、どこの誰が監修したかも分からない、出産までのアプリを取得する。これらのアプリは親切丁寧に毎日、情報を更新してくれる。毎日変化する赤ちゃんのイラストは不思議と可愛らしい。監修医が掲載されているアプリももちろんある。


自身にこれからどのような変化が起こるのか、今どのような変化が起きているのか、あとどれほどの日数が経過すれば安定期なのか、初めて知ることばかりである。もちろん、無料のアプリだ。つまり、広告で成り立っている。商品の案内を交えた情報があるのは当然だ。

そこで目立つのが「妊娠線」である。どのアプリにも「妊娠線は一度出来ると、消えないから大変だ!だからこのクリームを使おう!」という類のものだ。

妊娠期間中、あまりにも何度も見るものだから「妊娠線、絶対に残してはいけない…」という思いが生まれてくる。妊娠線は妊婦にとって禁じられたものなのだ。

もちろん、一度できると消えないとのことなので、できないに越したことはない。私も妊娠線を残したいわけではない。だから必死にクリームやオイルを塗りたくることになる。保湿されてこなかったお腹は急に丁寧な扱いを受け始めるのだ。

この情報には感謝している。ただ一つ気になるのは「どれだけの女性が、広告表示によって、自分を責めているのか」である。もし私のお腹に妊娠線が出来てしまったら、私は自分を多少は責めるだろう。「あれだけ言われていたのに…」と。

商品を売るための記事や広告にこう書いてあればどうだろう。

「できても仕方がない妊娠線。それは勲章です。でも気になるようなら、このクリームを買おう!」これなら、もし、できてしまっても「仕方なかった」と思えるだろう、自分を責めることもないはずだ。

「できると一生消えない、妊娠線。だからこのクリームを買おう!」こんな類の情報に、何度も出会うだろう。妊娠期間中も、出産後も、子育て中も。

モノを売るための広告に、我々は「こうあるべき」を押し付けられてしまっているのだ。「モノを買ってもらうため」だけのものが、自分の考え方や感じ方に影響を与えてくる。

それはあまりにも知らぬ間に、隙間から、入り込んでくるのだ。戸締りをしていても敵わない。広告だけでなく、インフルエンサーとされる、モデルかなにか分からないような人たちも、タイムラインに流してくる。

「私は何を信じるのか、そして何を誇りに思うのか」を考え、膨大な情報と付き合っていく必要がある。改めてそう感じた。

妊娠線はできても良い、だって赤ちゃんを何ヶ月もお腹の中で育てたのだから。私の、あなたのお腹の中で一つの生命が育ったのだ。皮膚にできた線ごときに、頭を悩ます必要はない。そこに生命が宿った証拠であり、勲章である。

残ってしまうのが嫌な人は保湿をすればいいし、面倒な人はしなくても良い。2日に1回でも良い。3日に1回でもいい。なんでもいい。ルールはない。大切なのは自分である。忘れないでおこう。





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