流れは作らなくていいし、舟も漕がなくていい
来るべき時に来るべきものが来るし、
会うべき時に会うべき人と出会う。
どんなに会いたくても会えない人とは、悲しいけれどもう、別々の流れに乗っているんだ。
***
「なんとかなる気がする」
最近の私の感覚。
なんだか自分の中の運命思考が強まっていると感じる今日この頃。
春から働き方が変わる。
ざっくり言うと、正社員という働き方を辞める。
なんかもう、「正社員」になることは一生ないかなという気がしている。
とは言え、今回のこの変更は、ちょっと予期していないものだった。
詳細は書けないけれど、自分で決心して「辞めます!」と言ったわけではなかった。けれど色んなタイミングが重なってそういうことになった。
だから最初はちょっと焦った。
「やばい、収入減る。どうやって生きていこう」
会社に頼み込めば、
「私、頑張ります!頑張れます!」って言えば、
たぶん今まで通りの働き方は継続できたんだけど、なんだかもう嘘はつけなかった。
どこかで「もうしんどいな」って思ってて、でも次が決まっているわけでもないから勇気が出なくて、とりあえずこのまま様子見・・・って思ってたらそういう流れになった。
「あ、私がいつまでも自分で決めないから、流れが先に来たんだ」と思った。
だから怖かったけれど、その流れに乗ることにした。
そうしたら、ほどなくして別の仕事の話がやってきた。
「ちょっと面白そう」
と思ってた仕事。
前の働き方のままだったらきっと出来なかった仕事だけど、
実は今までの自分だったら選ばなかったような仕事だけど、
ちょうど時間も空くことだし、やってみることにした。
やってきた流れに、乗ってみた。
今私はワクワクしてる。
***
たぶん私は少し前まで、「流れ」を作ろうとしていたんだと思う。
自分の思う方向にせっせと溝を掘って、生まれた水流にボートを浮かべ、力いっぱいオールを握る。そんなことをしていたような。
でもそのやり方は、やっぱり上手くはいかなかった。途中で苦しくなって舟を降りた。
自然な流れ、じゃなかったからだと思う。
じゃあ以前の私には「流れ」が来ていなかったのかというと、たぶんそうじゃない。
「流れ」はきっといつも来ていた。
”来ていた”、というより、”あった”。
でも私はそれに気づけなかった。あるいは、無視していた。自分の理想の「流れ」とは違ったから。
「流れ」に気づけるか。
気づくには、余裕が必要。余白が必要。
それから、流れに乗る”勇気”も、時には必要。
思ってたのとは違う。でも乗ってみたら、案外「あ、これが正解だった」ってなるんじゃないかなと思ってる。
「流れ」はいつもある。
大なり小なり、いつも自分の周りに流れてる。
息をしっかり吸って周りを見渡そう。感じよう。
あとはゆったりと、身をまかせるだけだ。
流れに乗った、同居人まいまいのブログもあわせてどうぞ。
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