最後の瞬間に欲しいもの
この記事は仲間とやっている「週刊お題note」という企画の一環で書いたものです。お題はメンバーで順番に出しているのだけれど、他者にテーマをもらうことで自分の思考の枠を広げられるんじゃないかなというのも狙いの一つ。
そして今回のお題は【最後の晩餐に選ぶならこれ!】。
うーん、まさに自分では思いつかないテーマ。
なぜなら私は食にあまり関心がない。
不味いものと美味しいものの区別はつくし、美味しいものを食べるのは楽しい。
でも、わざわざ美味しいものを食べるために努力をしようとはあまり思わない。
美味しいと噂のレストランにわざわざ出かけようとは思わないし、もし出かけてもものすごい行列が出来ていたとしたら、あっさり諦めて近くのファミレスでもいっか、と思うだろう。
と、ここまで書いてみて、この、お題からちょっとずらして自分の書きやすいことを書くというのはなんか結局自分の思考の枠の中にとどまってるんじゃないかという気がしてきたので素直に書いてみます。笑
最後の晩餐…
っていうのは普通、自分が死ぬ前の最後の食事ということだろう。
私はどうやって死ぬんだろう。
普通にいけば、何かの病気になって病院で死ぬんじゃないかな。こう書いてみると自分の死について考えたことってなかったな。
イメージの中での私は年老いているけれど、もちろん若いうちに病気になる可能性だってあるし、明日事故に遭う可能性だってある。
でも事故だとしたら最後の晩餐を最後の晩餐として認知はできないし、多分私は走馬灯の中で「あー、最後にあれが食べたかった…!」なんてことは思わないだろう。
なので今回は、病気である程度自分の死期を悟っている場合を想像してみる。
病院で死ぬことを考えると普通、最後の晩餐は病院食になるのだろうな。そう思うと、病院食を作っている方というのはなかなかに複雑な思いを抱いていたりするのかもしれない。自分が作った食事が誰かの最後の晩餐になる…。病院食を作っている方に思いを馳せたことなんてなかった。やはり他人にテーマをもらうと面白い発見がある。
そもそも病気で固形物なんて食べられない可能性だってあるし…。
うーん、思考が散らかってなかなか具体的なメニューが思い浮かばない。
死ぬ前に食べたいってことは、最後に幸せな気持ちになりたいってことだ。
もし、もしも私が生涯独身を貫いて、看取ってくれる家族がいなかったとしたら…
ああ、ツライ。辛いけれど想像してみる。誰かがそばにいなかったとしても、食べて少しでも心が和らぐもの…
だめだ。
どうしたって1人で食べるのはツライ。
現在の私はほとんど孤食状態だけれど気楽でいいや、なんて思っている。
でも最後の晩餐となると、看護師さんでもいいから、そこにいて欲しい。
それがコンビニのアンパンでもいい。
「小西さんが好きなアンパン、内緒で買ってきちゃいました♡」なんていつもお世話になっている若い看護師さんに言われたら、それはものすごく満たされた気持ちになるんじゃないかな。
誰かとの繋がり。誰かが、私を想ってくれた。
それを最後に感じられたら、豪勢な食事なんていらないかもな。
後回しにするのはやめよう。
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