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珍しい八角形の広場。その秘密を探る
イタリア中部、ラッツィオ州北部、ボルセーナ湖の北岸に位置する現在人口2100人ほどの小さな町San Lorenzo Nuovoサン・ロレンツォ・ヌオーヴォは、1774年につくられた新しい町です。(Nuovoは新しいという意味)
それ以前は、ボルセーナ湖の程近く、今の町より2km南にサン・ロレンツォと呼ばれる町がありました。しかし、湖の水位が上がり、沿岸の土地は沼地化し、マラリアが発生。すでに貧しかったサン・ロレンツォ、農民中心の住民はさらに激減しました。そして、干拓工事も不成功に終わります。そこで、ローマ教皇クレメンス14世が関与し、教会が356人になっていた住民を丘の高台へ移住させました。
こうして生まれたのが、現在のSan Lorenzo Nuovoサン・ロレンツォ・ヌオーヴォです。
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新しい町を建築するにあたり、建築家フランチェスコ・ナヴォーネは、コペンハーゲンの八角形の広場アマリエンボー宮殿広場にインスピレーションを得て、町の中心に八角形の広場をつくりました。中世の街並みが残る町が多い中部イタリアにおいて、サン・ロレンツォ・ヌオーヴォは新古典主義の特徴が際立ちます。
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でも、八角の形が選ばれたのは、ただコペンハーゲンの広場の「マネ」したことが理由だったのでしょうか。
実は、この一帯には、1500年代に遡る八角の形の建物がいくつか残っています。そして、それらの建物の建築には、ルネッサンス期を代表する建築家アントニオ・ダ・サンガッロ “イル・ジョーヴァネ”が関わっていました。彼は、多くの哲学者、文学者、芸術家が集うフィレンツェのメディチ家のプラトン・アカデミーに通っていました。そこでは、プラトンをはじめとするギリシアの古典古代の哲学が論じられていました。占星術や錬金術は科学とまだ明確に区別はされていなかった時代です。
占星術では、地上の諸事件や人の運命は、天体の力に関連していると考えられていました。そして、例えば、男性的で暴力的なエネルギーが集まる場所には、愛と美の女神ヴィーナスの力が必要だと考えられました。
八角形は、完璧な円と完璧な四角の間の形です。それゆえに天からのエネルギー、ヴィーナスを受け入れる入り口になりえると当時の神聖幾何学で考えられていたのです。(キリスト教では、聖霊の象徴である鳩が舞い降りるのは八角形をした洗礼盤で、だいたい教会の入り口に置かれています。宗教がかわり、シンボルがかわれども、同じ考え方を継承しています。)
実は、これ東洋哲学の風水の「八卦鏡」とも同じ考え方ですよね!
この広場が、八角形なのは、単にコペンハーゲンのマネではなく、男性的で暴力的なエネルギーを抑えるために、神聖幾何学的に選ばれたようです。それは、他の建物との繋がりからみても明らかなようです。
どのような繋がりがあるか、どのような男性的なエネルギーがあるかは、次回書かせていただきます!
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教皇ピウス6世に感謝の意を込めて捧げられた大理石版が住民によって掲げられている。
当時356人しかいなかった住民のために新しくつくった町に建てられた立派な教会に大きな広場。感謝する気持ちもわかります。(いかに教会の権力が大きかったかも)
参考資料:
http://www.meteosanlorenzo.altervista.org/blog/?q=la-storia-di-san-lorenzo-nuovo
素直にうれしいです。ありがとうございます。