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【 常識や他人がどう思うか、じゃなくて、自分がどう思っているのか? 】

先日の研究会で「人の持つ境界線」についてお話したのだけど、

「境界線」と言う言葉に対して、「相手との線を引く」と言う意味で
「ネガティブ」に捉えられている方もいたのが私的には新鮮だった。

お話をした私としては、健全な境界線は必要で、
お互いちゃんと示し合えると良いよね!という趣旨の話をしたのだけど、、
もう少しここで言語化しておくと、、

自分の境界線を自覚して、
自分を主語にして、
自分はどう感じたかを語れれば良いんだけど、
相手を指差して、相手を主語に指摘しちゃったりすると、
それは、相手の境界線に勝手に入ってとやかく言うことになっちゃって、
余計なお世話というか、
嫌がられたり、揉める原因になるわけです。

人によって境界線が違うし、
相手の境界線は、見えないからこそ、
まずは自分の境界線を示しながら自分を主語に話すことが大事なんだと思うのです。

だけど、、
日本って、島国だからか、すごく境界線が曖昧なんだと思う。

だからこそ、
境界線が曖昧な中で、
集団的な安心を作るために、
空気を読んだり和を重んじる傾向があるのかなと思うのだけど、
ともすると、本人の願いよりも同調圧力的な、
こう〜すべき、〜すべし、
こう〜せねばならない、と
相手の境界線に、当たり前の様に踏み込んで、
教えてあげた感になっちゃう傾向も強いというか…

その結果、踏み込まれた方は
防御反応も強くなり、、
無自覚な過剰反応。。。

黒船来た時にゃー、そりゃびっくりしたでしょう。
歴史的には開国していても、
心の開国は、まだまた過渡期なんだろうと思います。

だから、揺らぐし揺り戻しも起きる。

このことを自覚しておいた方が、
〜べき、とか、ねば〜で、
ダイバーシティやインクルージョンをやろうとするんじゃなくて、
自分の内的意欲から進められる様になる気がするのです。

やるべき、より
やりたい、と、ホントに思ってるか?
自分の心に耳を傾けてみるところからなんだろうなと思っています。

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