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思い出よ、さようなら

割れそうな頭の痛みで目が覚める。この痛みは、知っている。忘れかけていた痛み。思い出したくなかった痛み。二日酔いである。

30秒くらい放心して、あれ、今日働いてなかったっけ?と気がついた瞬間に、全身を悪寒が駆け抜けて一気に目が覚める。
そうだ。今日、というかさっきまで私はバイト先であるバーで働いていたのだ。で、そこで働いていた時の記憶が抜け落ちている。お得か?
記憶がなくなっても働いていたことになるのだろうか。次に出勤した時に「もうあなたのタイムカードはありません」と言われてもしょうがないような気がする。
そこで働いていたことも、そこで出会った人たちも、そこでの沢山の思い出も、全てが幻のような気がする。全てが、夢。

なんで、記憶がないんだろう。
なんで、記憶がないんだろう、って何?

正確にはところどころは覚えている。ダイジェストみたいな感じで、瞬間の思い出はある。でもそれがいつまでも繋がらない。
遠くの方にある、ちいちゃい思い出たちを掻き集める。繋がれ。繋がってくれ。答え合わせをさせてくれ。そして誰か私を裁いて。


ショットグラスのぶつかる音。喉を流れるテキーラの熱さ。舌に残るアルコール。
文学の話。坂口安吾の話。「こんな真っ当な話をする日が来るとは」とカラカラ笑っていたお客さん。
「私、なっちゃんに会うためにここに来てるんですよ」と言ってくれた女の子。その子と乾杯したエライジャクレイグ。
テキーラ。テキーラ。ロンリコ。テキーラ。
バスに揺られて帰る私。ポカリスエット。前の席に座っているおばあちゃんの後頭部。
これが私の思い出の全てだ。それ以外は全てバーに置いてきた。ついでに人としての誇りも置いてきた。

後半、というか朝方、私は仕事していたんだろうか。記憶がないだけで実はシャキシャキ働いていたんじゃないか、という都合の良い妄想をして、いや、そんなわけはないと一蹴する。そんな状態の人間が働けるわけなどないし、私はそこまでできた人間じゃない。

その場にいた全ての人々の記憶が、同じようになくなっていたらどれだけ救われるだろう。いや、もしかしたらみんなもあのカウンターに思い出を置いてきているかもしれない。そんなことってあったりしますか?ないですか、はい、はい…そうですか…はい…。

あと全然関係ないけど、起きた時に信じられないくらい満腹で、何かを食べた記憶がないのでずっと(…?)という感じだったのですが、母親によると帰宅してからコンビニのパスタを三皿食べていたらしい。バカやろが。もうお前二度とダイエットしてるとか言うな。

一歩進んで10歩くらい下がっている。この調子で生きていくと、死ぬ前の走馬灯が戒め総集編みたいなことになりそうだ。
みんなも見せていないだけで、こういった思い出しただけで暴れたくなるような瞬間があるのだろうか。私には周りの人間が素晴らしくできているように見える。皆さん、もっと暴れませんか?そうして世界のバランス、とっていきませんか?

こんな下手くそな日々を生きる私を、どうか愛して…。愛の平手打ちをどうか…私に…。

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