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変化の夏

いつの間にか夏が来ていた。夏は、あまり好きではない。暑さってどうしようもないから。梅雨が光の速さで通り過ぎたかと思うと、全ての気力を削ぐような暑さが続いて本当に嫌になってしまった。休日はひたすら家に籠り積読を解消する毎日だ。

しかし今年の夏は、少し違う。
アルバイトを始めた。地元にあるバーである。
兄に連れられて以来、密かに心の拠り所にしていた大好きなバーで働くことになったのは、まさに僥倖だと思う。

歳を重ねるごとに腰が重くなり、家に引き篭もりがちになっていた私は、どんどん人付き合いというものが分からなくなっていた。たまに人と喋る機会があると、壊れたオモチャのように不自然な限界コミュニケーションを披露するなどした。
唯一の趣味である読書は一人で完結するものだし、気まぐれに更新しているこのnoteも、充電が一生満タンにならない壊れかけのPCを鼓舞しながら自室で黙々と生産している。

こうした生活を続けていたおかげで、定期的に遊ぶような友人も次第に減り、一人で過ごす時間が増えていった。それを寂しいと思うこともなくなった。1人でいることはひたすら気楽だった。
学生時代の、先生を友達のようにあだ名で気安く呼んだり、顔見知り程度の同級生と自撮りをしていた時の、あのどこから湧き出ているのかわからない謎の快活さ、ひょうきんさ、能力のようなものは一体どこにいってしまったのだろう。あの魔法はもう使えなくなってしまった。

そんな私が、唯一他者とコミュニケーションをとれる場所、それが先述したバーだった。

素面の私では喋れないようなことも、美味しいお酒を飲めば固く閉じられた口が次第に緩んで、気がつけば隣のお客さんと会話を楽しんだり、心優しいマスターに相談をしていたり、大きく口を開けて豪快に笑ったりすることができた。お酒は大人しか飲めないものだけれど、私はお酒を飲むことで子供の頃の快活さを取り戻すことができた。それは酔いが醒めれば消えてしまう儚いものだったけれど、その取り戻すという行為自体が大切なように思われた。初心に帰るだとか、童心に帰るといった言葉があるように、立ち戻ることは生きていくうえで重要なのかもしれない。
そんなわけで、私はそのバーとそこで飲むお酒が大好きだった。

どれだけ家に籠ってようが、貯金は減っていく。自分の貯金残高に頭を抱え始めたのはそこまで最近の話ではない。職を転々として、のらりくらりと生きてきたしわ寄せが今、完全にきている。生きているだけで金が溶けていく。そろそろ働かないとなあ、と思い始めてから行動に移すまでに何か月もかかったのは、やはり人付き合いが分からなくなっていたからだと思う。

バイトの求人を毎日漁って、自分でもできそうな仕事をリストに入れた。しかし、いざ応募をしようとすると色んなことが頭をよぎって、結局地元の求人情報についてやけに詳しくなっただけだった。
新しい人間関係が構築されることに純粋に恐怖を感じていたのだ。そんなの誰だってそうに決まっているのに、私はそのあとの一歩が踏み出せなかった。

酒が飲みたい。ついでに煙草を吸いたい。

一旦、童心に帰る必要があった。行き詰っている今を、打開する必要があった。

Peaceを二箱買って、バーへ向かう。久々に飲んだジンバックが体全体に沁みた。煙草の煙を吐き出したときに、自分の頭の中を占めるものが一緒に吐き出されて軽くなった気がした。要は死ぬほど美味かったのである。
マスターと顔見知りの常連さんに囲まれて、来店したばかりなのにもう帰りたくなくなってしまった。素面だと口に出すまでに時間のかかる言葉がするすると出てくる。自室で溜め込んでいた悩みもするする出てくる。

自分が頭で思うより先に「ここで働きたいです」という言葉が出ていた。そしてこれまたタイミングが良かったのと、お店の寛大な心により、私は大好きなバーで働けることになった。求人を漁っていたときは「接客なし」に項目を絞っていた私が、接客業をしている。人生って不思議。

今のところ来てくださるお客さんと、一緒に働いている方々が皆優しいので、楽しく働くことができている。まあ、初日でグラス割ったんですけどね。

今まで、仕事に対して「こうしなきゃいけない」という義務感でずっと動いていて、勝手にその義務感が肥大して自滅する、ということを繰り返してきた。
ミスをしちゃいけない。こうでなくちゃならない。足を引っ張っちゃいけない。

気質だよなあ、と諦めていた。私はこうやって自分の首を絞めてこれからも生活していくんだろうな、とどこかで諦めていたのだと思う。ある程度の責任感は大事だけど、義務として抱え込むのはなんか無駄な消耗のような気がしてくる。こんなことにエネルギーを削ぎたくない。燃費良く生きたい。
ウォルト・ディズニーが「しなくてはいけない仕事には何か楽しめる要素があるもの」という言葉を残したように、仕事を楽しむという思考の工夫はわりと大事なことなんじゃないかと最近は思っている。



このnoteを書き始めたのが初夏だったのに、なんとなく日々を過ごしていたらこの日記の存在をすっかり忘れていた。読み返してみるとバイトを始めたというだけのことなのに、随分と大袈裟な書き方をしていて笑ってしまった。
「ちっす!バイト始めたにょん!」くらいのテンションでいいだろ。
こういう記事は寝かせすぎるとその間に心の状態が変わってしまってどうやって締めくくればいいかわからなくなるので、一日でパーッと書いた方がいいな...。

最近の気づきでも書いて終わろう。
私は「お酒を飲んでいる状態の自分」が本当に嫌いなんですが(素面になったときに酔っ払い特有の陽気な態度を思い出して頭を抱えるタイプ)、飲む相手や状況によって酔い方がだいぶ違うことに気が付いた。素面の時の人格と酔っている時の人格二つで自分は構成されていると思っていたけれど、どうやら違うらしい。
で、この正体は何なんだろうかとモヤモヤしていた頃に分人主義という概念に出逢った。
ざっくりいうと自分は一つ(個人)ではなく、いくつもの人格の集合体(分人)が自分を形成している、みたいなことらしい。最初、ペルソナのことを言っているのか?と思ったけどそれとはまた違った概念のよう。

確かに、家族、友人、仕事仲間といるときの自分は、自然と違う自分に切り替わる。「あ、今の自分嫌だな」と思う時と「今の自分は何となく好きだ」とそれぞれ思う時は、対その人といる時の自分の分人が好き、または嫌い...へえ...。
平野啓一郎さんの「空白を満たしなさい」という本を最近読んでこの概念を知ったのですが、人間関係を築くのが下手な私にとって、結構救いになる考え方でした。自分の中にある、あらゆる矛盾もこの概念に沿って考えると説明がつくというか...。とにかく気が楽になりました。
自分だけでくどくどと悩んでいい方向にいった試しがないので、読書や人との対話で新しい視点を持つのは大事だなあ、と改めて感じました。以上です。早く夏終わってくれ~!!!

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