見出し画像

自戒的、正論でブン殴るヤツの心理。

正論は時に人を傷付ける。

自分の価値観で人を測る行為の危うさは理屈では知っていても、無自覚にやってしまったりする。

ボクの場合は責任感というか、自身の立場に相応しいプロ意識を持ってないと感じた相手に対して、特に心が狭量になる側面がある。

そしてやってしまいがちなのが、正論で他人をブン殴るってやつ。

たぶん、自分に自信がないヤツとか、生い立ちにコンプレックス持ってるやつほど傷付くんだけど、正論ばかり振りかざすヤツはその気持ちが分からない。

分からないと言うか、たぶん分かりたく無いことが多いんだと思う。

あるいは、自分が傷付いたり、弱さを隠すために無意識に威嚇してしまう。

なぜなら自分の中にも見たく無いものとか認めたく無いものとか汚いものとかあるから。

でも向き合ったり認めるのは怖いから、小心者は気付かないふりをする。
そしてそんな自分を守る為に、正論で武装するんだよね。

だからそういうやつほど、理屈っぽくて攻撃的な言葉選びをしてしまいがちになる。

たぶん、正論で殴る間は自分は悪くないと信じ込んでられるし、他者への説明でも堂々としてられるし、子どもの時ほど、理屈で説明できるヤツの方が大人に可愛がられるって側面があったから。

後ろめたさは、教えたり世話焼いたり親切にしてやるテイをすると誤魔化せる。正論を理由に自分を正当化できるから。

そして、そんな弱さが自分にあった。
そんな自分の小心者ぶりも受け入れられたら、今は少しずつ大人になったと思えるようにった。

昔は周りの人より自分は大人だと思ってた。
とても子どもだった。
今もまだ半人前だけど、せめて子どもの前で恥じなくて良い程度には大人に近づけているのではないかと思う。

自分の中に常にある何かしらへの怒りの気持ち、その原因にある自分の弱さに気付くまえは、常に息苦しかった。
世間に対して怒りばかり感じていた。

それと、これは親として自分の子供に対しても似たような構図で無意識にやってる気がする。

今でも完全に消えてはいないけど、それはそれで自然なことの一部だと思うから昔よりは距離を保てるようになった。

そして今は、今も息苦しそうにしているかつての自分と同じような人を見ると、どうにか楽にしてあげたいと思う。

でもそれは言葉で言ってもきっと素直に受け入れるのは難しくて、時間をかけて接していく中で気付いて貰うしかないのかなとも思う。

そこはまだ上手く出来ない。
でも、自分の弱さを受け入れたように他人の弱さも受け入れられたら、きっと少しずつ接し方も上手くなるんだろうと思う。

正論は正論として間違いではなくても、感情に対しては正解ではない事を忘れず、強くあれではなく、弱さをフォローしつつ共に強くなる気持ちを大事にしたいと思う。

過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。