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遺書No.265 火事発生。

※この記事は、私がかつて(2004年7月6日から2009年7月5までの5年間)、cgiboyというサービスのブログで毎日投稿していた「遺書」の中から、とある1日を抜粋して転載したものです。
※最後に、久々に読み返しての一言メモを追記しています。

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2005.3.31
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はぃはぃビックリ仰天な朝を迎えました、
みーくんです。

実は今朝、けたたましく鳴り響く、
警報ベルの音で目覚めました。

なんやなんや?と、
まず表(ベランダ)に出てみると、
鳴っているじゃありませんか。
非常ベル。

おっと、しかもうちのマンションじゃないか。
私は4階。

さてさて何が起きたやら?
すると段々ケムくなってくるじゃないですか!

しかし、まずはどおせ誰かがもお連絡したろ…
焦る事はない…

しかし、5分経っても鳴り止まない。
ガヤガヤと騒ぐ声もしない。

はて?と廊下に出てみる。
エレベーターは止まっている。

非常階段に出てみると、
たくさん居住者がでている。

騒いでいる。

仕方無しに、119番に電話してみる。
もお連絡ありましたと言われるものとばかり。

すると、

何と初連絡じゃないですかッ!!!

まぁびっくり。
だって、オーナーさんも同じマンションに住んでるのでゎ・・?

後から知ったが、オーナーは出かけてたらしい。

しかし、このマンション掃除婦さんがいて、
毎朝熱心に掃除しとるやんけ。
今日はどないしたん?
と思っていると、
パニック状態になりながら、
居住者と話しているじゃなぃか。
ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ

んで、再び部屋に戻り、
出勤の準備なぞしながら考える。

さて、一応何か貴重品だけでも持ってでるか。
しかし・・・他に何かなぃ いのか?

会社の人とこんな会話をした事がある。

『もし緊急事態になって、大事なモノ持って逃げ出すとしたらなにがある?』

俺、浮かばなかったん。
よう考えるとそれも淋しいよね。

勿論、どれも失くなってもいいモノ、
って訳じゃないけれど。

思い出のモノ。
金目のモノ。
何もないって淋しい。

ま、それはいいや。
そんなこんなで消防車が着ました。

その時、ベランダに出ると、
向かいのマンションの住民が、
『3階から火が出てる!!』と叫んでる。

そういう今にも、
目の前を煙が立ち上がってゆく。
モクモク。

部屋に人はいないのか?
これはもしかして、
上に住む俺も逃げた方がいいのか?

床が熱くなってきたりしないかな?
と床に手を着いてみたりして。
何ともなぃ。

消防隊員は、非常階段から部屋の前へ。
既に野次馬が溢れてきている。

ベルは鳴り続く。
ベルは鳴り響く。

どうやらベランダ側から、
ハシゴで潜入した模様。

火は鎮火。

どうやら電気ストーブに服があっけてあり、
そこから発火した模様。

本人とは消火後に連絡がとれたらしく、
大事な仕事で出ておりすぐには戻れないと。

他の部屋に火が移らなかったからいいものの、
大事な仕事も何もないだろう。

他の部屋に飛び火していたら、
なおさら許せない発言ではあった。

理屈ではなく『大事』と言わねばならぬ、
会社・仕事の責任もわかる。

しかし『家が火事になったので帰る』という、
その言葉が通じない商談もプロジェクトも、
ないと思う。

と、あえていってみる。
ま、火事は大事に至らず、良かった良かった。


それと、事後に状況説明やらで、
色んな人が事情聴取されたんだが、
『隣の家の人の家族構成は分かりますか?』に対し、誰も応えられない。。。

これって、やっぱ問題あるよね。
名前も顔も知らないんだもの。

非常階段で野次馬が顔をあわせた。
マンションの住人と初めて顔を会わせたのが、
災害時の野次馬として・・・って。
これもどぅなん?

みなさま、火元にご注意を。

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2021.10.12
毎日遺書を書き始めた当時265日目の投稿内容。
住んでるマンションで火事が発生するとか、そんなに多くないよね?ボクはホントこういう事象によく遭遇すゆ。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。