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暇と退屈

ある人は言う。暇と退屈は違うのやと。

やることがなく時間を持て余す状態らしい。しばらく、いやここ何年も味わってない、かもしれない。そう、携帯(とはもう言わへんのか?パカパカやらスライドやら小さいデバイスを携帯と呼ぶイメージがある)にたくさんの”見よ”が課されている。それをひとつずつこなしていく。味わっていない”かもしれない”というのも、夫といると「暇やし映画見る?」とたまに呟かれる。ふたりでおるときは「ツイッタータイムだー!!」などと宣言しない限りあんまりI phoneを覗かない。なんとなく暗黙のあれが出来上がっている。やからふたりしてI phoneから隠れることができて、たくさん話し終えて、お腹いっぱいになって、寝足りた状態になると暇という空間ができあがる。ひとりでおるとずっとI phoneと向き合うから暇にはならんけど、夫とおるとなる。

退屈

こちらはどうやろか。平日週5も働いておうちに着いたら21時を回るし、土日は割と外に出てるし、結婚式の準備でにょきにょきTo doが出てくるから全然退屈していないかも。ううん違う、友人と遊んでるのにふと「帰りたい」と感じたりする。良くないことにたぶん、楽しもうという気持ちがかなり弱い方だ。愛することは技術であり意志だとフロムは言うけれど、他人と楽しい時間を過ごせることも技術と意志。決して退屈しないこと、あるんやろうか。

暇と退屈は似ているようで似ていない。暇はすることのない状態で、退屈は内なる感情っぽい。


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