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楽に楽しく畳みたい、周囲の人にも楽に楽しくなってもらいたい。そんな畳み人、ゆき

ゆきです。→Twitterはこちら
こちら、楽な気持ちになれるかもしれない自己紹介です。

私は自身の行動原理を自分に関わってくれる人も含めて「楽しみたい」「楽したい」ということを根幹にしています。
何で「楽」が行動原理になっているのか?
を自分の中でも言語化するために分解しつつ、知ってもらうためにここでプロフィールとしてまとめました。

そこには、
「いじめ」にあがないつつ目標に向けて突っ走ったり、
一度の失敗で全てを失ったかのように凹んだり、
そして、タイで得た経験や価値観から「楽」をテーマに畳職人になる
おっさんの姿がありました。

自分の半生をさらけ出すことで、私自身の自己理解について触れてもらったり、
「何だこいつ!」って思いながらでも「楽」に生きるっていいものなのかもって思ってもらえたら嬉しいです。

まずはざっくり【プロフィール】
1983年:爆誕
幼稚園:女の子に間違えられる奇跡の時代
小学生:いじ(め)られっ子

中学生:塾が楽しい反面、学校の授業つまらない
高校生:受験失敗で無気力、半不登校
大学生:何も考えず遊びまくった結果、ハゲる
社会人:日系→タイで5年→外資→ベンチャー(今ここ)

ではではキーになる【エピソード】を…

1.小学生でいじりが過ぎていじめに

幼稚園、小学校とそうだったのですが連絡帳へ男女関係なく話して常に笑ってていいねみたいなこと書かれてました。

確かにその通りで、年齢が上がるにつれ好きな子はいましたが、男女で話す内容や向き合い方などを特に変えたことはなかったです。

そんな感じだったのでいつの間にかいじられキャラのようになり、それがエスカレートしてだんだんいじめられるような形になってきました。

時々ツイッターなどで見かけるいじりといじめの境界は?みたいなのと同じで、いじってる方は楽しんでるんだろうけどいじられる方は「こいつにそんなこと言われる筋合いはないし、全く楽しくないどころかただただ不快」みたいな。

なので過度にいじられるのは好きではなかったのですが、人と話すのは好きだったのでとりあえずみんなが楽しめる話しようぜって行動してました。

2.全教科連続100点で、好きなゲーム買ってもらえる

小学生の時はこんなルールがありました。
もともと算数が好きだったのでここには問題はなかったのですが、漢字・理科・社会のように暗記が必要なものがとことんダメで…
テスト前は必死に暗記してました。ゲームのためだけに。
なんどもなんどもテスト中思い出せなかったり、計算ポカミスで泣かされましたw

結果としては一度だけ達成ができ、その権利でファイナルファンタジー6を買ってもらいました。

この件は、目標達成へ向ける貪欲さの原点なのかなーと思ってます。

3.先生に好きな子を授業中にバラされたけど、逆に告白される小6

小6の時、好きな子の名前をこっそり友達に打ち明けたら先生にバラされ、授業中にその先生の口からクラス全員に発表される。
という「いじり」を受けました。

今思うとこれって「いじめ」?と思う部分はありますが、
その後に好きな子の方から告白!→お付き合いすることになりました。

初めての彼女です。ウキウキです。

が、そこで何をどうしていいかもわからず極度に男女を意識してしまい、今まで散々会話してきたくせにそっから日常の会話もできなくなりました。
結局、何一つイベントが発生しないままフラれることに…。

今ではまた普通の友人ですが、数年ぶりに再開した際に「あん時めっちゃ幻滅したわー」と言われました。
そりゃそうだwって思いますw

4.学校がつまらなかった中学生

中学生になったものの、小学校からそのまま上がった人が大半だったので相変わらず学校ではいじられてました。

塾に通い始めて、学校がつまらないと思うように。
塾で新たな友達もできたことで塾が楽しくなってしまいそっちにハマってました。

と、同時に塾だと学校より進みが早いので学校が非常につまらないものになってしまい授業中は先生の話は聞かずに先を見てたりして過ごしてました。

おかげでテストの点はそれなりなのに内申点は悪い生徒でした。

5.進学校を目指し高校受験に失敗

高校は、当時近くで唯一射撃部があった進学校を受けることに決めました。

そして、当時「めちゃイケ」にハマっていた私。
「めちゃイケ」に出ていた「ヨモギダくん」が大学に受かった。
彼が茨城出身だったからか?何を勘違いしたか筑波大に受かったのか!うちからも近いとこにあるしそこ行こう!と高校での目標の一つに筑波大に入ることもなぜか決めました。
(実際にヨモギダくんが受かったのは中央大学です)

しかしながら、結果的に受験には失敗し、日大の付属高校へ行くことになりました。
そこで、完全にやる気を無くします。

6.無気力だった高校時代

高校に入学してからは、完全にモチベーションが無くなっていたので「いつ辞めるか?」しか考えていませんでした。
なので、高校一年の時は友達もいませんでした。

成績も、入学時のテストは420人くらい中10番台だったのに、1年が終わる頃には410番台まで落ちてました。

時は1999年。
ノストラダムスの大予言で「地球に隕石が落ちてみんな揃って滅亡する」はずだったのに、そんなことも恐怖の大王が降りてくるなんてことも起こりませんでした。

そこには、ただ成績が落ちて1人で老け顔の青年が無気力になってただけでした。

7.無気力ながら彼女を作り変わり始めた高校2年

ノストラダムスの予言が外れ、高校2年になり、無気力が加速しました。
理系を選んだにもかかわらず、化学の先生が自分と全く合わず苦手だったのでサボり&早退。
高校には生ける屍のようにただ何となくそこに通うだけのような存在でした。

地球は滅亡しなかったし、無気力でも17歳のうちに童貞を捨てたかった気持ちもあったので、彼女を作るべく活動し始めます。
クラスの気になる女の子をデートに誘って告白!→ 彼女ができました。

当時の私は学校で話もしない。むしろ途中から早退で消える男。
彼女からしたら、「挨拶程度にしか話もしたことない人」だったのに、デートに誘って告白して了承してもらうなんて。とてつもないミラクルでした。

そこからは、ほんの少しずつですが周囲の人と話すようになったり、早退はせずに化学の授業だけ保健室で寝て回避するようになったりしました。

おかげで、化学だけ出席日数が足りなくてやばい。と言われるようになりましたw

余談ですが、高校は好きではなかったし辞めたかったのですが、踏みとどまったのは親の存在が大きかったです。

両親には、入学直後から「今すぐ高校辞めたい」と口ぐせのように言っていました。
そのたびに「辞めてもいいけどせっかくだからあとちょっと行ってみよ?」と言われ、特に辞めてからのことも考えてなかったこともあり、言われるがままあとちょっと、あとちょっとで過ごしていました。
「辞めるな」と強く言われるわけでもなく、「よし辞めよう」と言われるわけでもなく、のらりくらりとはぐらかされた形ですが、当時の自分にとってはこれが丁度よかったのだと、親には非常に感謝しています。

8.目標決まって進学決めた高校3年

惰性で高校3年になり、進路を決める時に出会いがありました。
付属でいける大学の中にロボット工学が学べる学科があったのです。

小さい頃からプラモデルなどが好きだった私にとっては、めちゃめちゃ魅力的な学科だったのでロボット工学がある学科を目指すことに決めました。

さらに、数学の先生が非常に自分にマッチしていた方で、とにかく褒めてくれる人でした。先生の影響もあり、どんどん前向きに戻っていきました

数学につられて他の科目も引っ張られるように成績が上がり、最終的に推薦をもらって希望学科に行くことができました。

褒めるって素晴らしいですね!!!!
みんな人のことは褒めよう?
ひとりひとりみんな凄いんだよ!?w

9.大学デビュー

大学では、典型的な遊ぶために大学に行く学生でした。

あれ?さっきロボット工学を学ぶって言ってたやん!と思われた方…ごめんなさい!

とはいえ、ありがたいことに友達に恵まれ、遊びメインにしつつも勉強に関しては成績を競い合うような関係の人とも知り合うことができ、充実した大学生活を送ることができました。
テスト前には友人とカフェやら家やらに集まって、その解き方は違うだこう暗記したら効率いいだなんだで遊びも勉強も楽しかったです。

そしてノートをテスト前に丸々コピーさせてくれた方…
本当に本当にありがとうございました。

大学で大失敗したことといえば、髪を真っ赤に染めたことですね。

クリスマスだからと髪を真っ赤にしようと一旦色をがっつり抜いて真っ赤にしました。

それのおかげで、毛根へのダメージが深刻です。若毛の至りとはこのことか

10.運命決めた?Dカーネギーの「人を動かす」

大学時代の出来事で今の自分を形成する上で象徴的になった出会いが、Dカーネギーの「人を動かす」という本です。

当時コンビニでバイトしていた時にオーナーさんに勧められた一冊なのですが、この本こそが私が今に至るマネジメントとして人との向き合い方の元となったと思っています。

オーナーさんは、物腰が柔らかく人当たりもよく素敵な方でした。

言われて見れば当たり前のことばかりなのですが、「人との接し方」が非常にわかりやすく書かれてます。
マネジメントで悩んでいる方には、一度読んでほしい本です。

11.なんも考えず就活、そして就職

遊んでいた大学生にも、卒業が見えてきて、みんながやってるから就活をすることに。
みんながやってるからよくわかんないけどリクナビに登録して、よくわからない会社ばかりだけどひとまずエントリーしてみる。
みたいな完全に惰性でした。

そして、なんか知らないけど書類通った会社に面接しに行って、何やってる会社かよく知らないけど内定くれたからそこに決める。
みたいな感じで、何もわからないままスタートして何もわからずに終わり、静岡にも工場がある日系企業に就職しました。

唯一、活動中に能動的に感じたのは、ここに就職すると勤務地が静岡になるから地元から離れる経験が詰めるんだなー。それも面白そうだな。くらいです。

まさかこの日系企業に入社したことがきっかけで、タイに住むことになり人生観まで変わるなんてその時は全く想像もしていませんでした。

12.配属ガチャでの失敗と心の病み

流されて就職したものの、希望していた職種だけは一貫して要素技術開発でした。

しかしながら、静岡に行って言われたのが「製品開発部門ね」

あーもう3年くらいで辞めようと思いました。

研修が終わり配属されたところはプロジェクトマネージャーを軸に、設計・評価・製造工程設計、場合によっては部材手配と調整まで自身でやるところでした。
上司が変なプレッシャーをかけてくるのもキツかった。
希望した職種に就けず、理不尽な上司の暴言もあり、私は数ヶ月で病んでしまいました

その時は入社時から辞めるって決めてたのにそこも頭になかったような…
あんま感情の記憶がなかったです。

見かねた周囲の人が「お前は会社を休め!」と半ば無理やり休みを取らせるようなことをしてくれて、復帰後に面談をへて同じ部署内の出来たばかりの製品群の課に異動しました。

13.失恋と、新たな出会いとタイ赴任

新しい課では、人間関係で悩むことが無くなりました。

異動した課ではまず新製品の評価や開発を任されたのですが、結局課自体が忙しすぎて直ぐに元のプロジェクトマネージャー兼(略)…の仕事に戻されました。
更に英語が赤点レベルで苦手だったのに中国の顧客担当、ついでに工程の立ち上げリーダーもやることに。

この経験のおかげで海外に興味をもったり、リーダーシップについて学んだり、ついでにストレスでビールが好きになったりと、一気に成長(?)出来ました。

しかしながら、半年強ほど基本中国の工場か客先にいて月一の土日だけ帰国的な日々を過ごしていたので、その時付き合ってた彼女にフラれました。

そのタイミングで、日本に研修に来てたタイ人と遊びにいく機会がありました。

その時に一緒に行った人が私の現状をタイ人に説明、傷心だった自分は勢いでそのタイ人に「誰か紹介して」と言ったところ返事は「ワカリマシタ」

週明けに本当に紹介してくれたのが新たな出会いとなる人でした。

どうやら彼女のいた部署にもタイ人研修生が来てたらしく、依頼を受けたタイ人がそちらへ連絡して話を持っていったようです。

そんなこんなで、付き合いはじめて1年後くらいにタイ赴任することになったので、そのまま結婚することになりその彼女は妻になりました。

人生何があるかわからないですね!w

14.タイ赴任したことで定まった価値観

タイで私がどんなことやってたのかはこちらのリンクを読んでもらうのが手っ取り早いので割愛します。
すでに知っておられる方からしたら何度目だこのリンク先って感じですねw

という訳でここではタイで得た価値観について書きますが、一言で言うと寛容です。
それでいて礼節を欠いてるわけでもないです。
価値観が違う人がいても排除しないで尊重する、尊重するからと言ってそれに迎合するわけではなく私は私、あなたはあなたという「存在を認める」感覚です。

こんなにみんなが違っててそれでもそれぞれを認め合って寛容な価値観があるのだと衝撃を受けました。

とにかく過ごしていて気持ちが「楽」でした。
もともとの「楽しくいきたい」と完全にマッチしたので思い通りに行動することが出来たし、それを受け入れてくれる、更には楽しても成果が出る組織を作ってる時もそれを認めて協力してくれました。

ここでの経験を生かして、私もこの価値観を元に関わってくれた人に還元したいと思うようになりました。

だからと言って「還元て何よ?」「ってか俺ってなにができるのよ?」っていうのもいうモヤモヤもそこから生まれてくるわけですが…

それが私なりに着想出来たのかなーってのはここ最近です。

これが2度目の転職とこれからに至ります。

15.2度目の転職と今後

これはこのリンク読んでもらえると嬉しいです。
(効率化ってこういうことだと思う!という言い訳w)
タイトルも書き方も情報商材のように怪しいですが、想いは本気ですw

というわけで今後は楽に楽しく畳んでいきたい。そして周囲の人にも楽に楽しくなってもらいたいというのが自分の想いです。

こうやって思い返してみると、高校時代に完全にモチベーションが落ちてることが見れます。
だって、内容がひたすら暗くて「楽しさ」と真逆の文章ですしw
高校に入るタイミングでは目標が達成できないとなるとその他のことも含めて落ちる。
そして大学への目標と数学の楽しさが他も引き上げた件から、目標が定まった時と楽しい何かが起こった時には他のことも巻き込まれて上がってくるということが見えました。

ってことでひたすら楽しさや楽さを追求する、実際に楽しんで行くことで他のことも巻き込んで好転させていくことができるんじゃないかなーと考えています。

そしてそれには私自身だけでなく周囲の人にこそ楽で楽しい環境を提供できることが巡り巡って自分の楽に繋がってくんじゃないのかなーという感覚です。

私自身がそうなのですが、悩みや問題に対して解決だと思う答えってその時々によって違うし、自分1人で考えるとなかなか見つからなかったり、実は奥底ではわかってるのに無意識に隠してしまってまた悩んだりってことがあると思います。

そんな感じで漫然と悩んでいる方々に自身の経験や価値観を通して一緒に方向性を探りながら楽に楽しくなれるよう畳ませていただけたらと!

こんなんですが、よろしくお願いします!

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