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ゆるゆるし

「許し」という概念がまったくない家で育ったので、この歳まで人のことをどう許していいのか分からないまま生きてきてしまったという自覚がある。
基本的に私の実家では罪の先にあるものは「報復」だった。親と対立すると、今最も大事にしているものは何か?と聞かれ、答えるとそれを目の前で破壊するという儀式がしばしば行われていた。
旅行先で買った小さなオカリナ、初めて好きになったゲームのソフト、大事に育てたたまごっち、一緒に寝ていた犬のぬいぐるみ……完膚なきまでに壊し終わった頃に、ようやく私は小さな声で親に謝る。これが常だった。

人の許し方が分からないと人と長く良い関係性を築けないことが最近になってようやく分かった。他者を許せない、という状態は誰にとっても不健康で辛い。私自身、他者を許して次のフェーズに関係を進めたいと心から思っているのにそれのやり方が本当に分からず立ち往生をするような感覚をおぼえることも多々ある。

少し話は変わるが、SMには「許し」の文脈が存在すると日々思う。女王様というポジションは特にそのエッセンスが強く、「許し」を上手くやることが女王様としての振る舞いのベースにある気がする。もう業界に5年ほどいるので、技術的に人を許すことはやっと出来るようになってきた。罪も罰も与えるのはこちらなので、許しも当然のように与えることができる(勿論、奪うことも)。

プレイの中で許された人間の安堵の表情を何度も間近で見てきた。熱を持った興奮よりもそれは幾分か安らかで、彼らの頭を軽く撫でながら私も達成感に似た気持ちを抱いたりする。良いセッションの後には必ず許しから来る安らぎがあり、それはある意味では性的興奮よりも得難い時間だと思う。

許すためには何が必要なんだろう。
本当に嫌な気持ちになった後は、謝罪を受けても許しきれないことすらある。許さないという選択肢も勿論あるだろうが、諦念や憎しみを自分の中に残しておくのと同義と考えるとやはり人間的成長という意味でも理想としてはなるべく許しをしていきたい。

SMプレイを通して感じることは、許しに至るには本当に多くのステップがあり、それを双方の努力によってこなす必要があるいうこと。
許される側は謝意や誠意を尽くして行動をしなくてはいけないし、許す側は自発的に不当な感情を乗り越えなくてはいけない。

とか、色々考えていると、本当の意味で人を許す、というのはとてつもなく面倒で難しいのでみんなあんまりやんないんだろうな。と思い至る。
でも私は女王様だし、そうじゃなくてもかつて許してもらえなかった子供だった身としてはもっと沢山人を許せるようになりたい。その試み自体が人間としての器のようなものを大きくしていくような気もするし。

ゆくゆくは私を許してくれなかった両親を許せるようになれればかなりいいな。
何事も小さなことから取り組むべきだと思うので、手始めに先日駅でスマホ触りながらぶつかって舌打ちしてきたおじさんを許してみようと思う。(私、全然悪くない!!)

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