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Yさんのこと

この世で最も信頼できるタイプの人間を私は既に確信している。これは、「自分が他者から大きく傷つけられたことがあるのに他者を助けられる人」だ。間違いない。これは絶対絶対絶対である。

人生で一番落ち込んでいた時にお世話になったカウンセラーさんがいる。Yさんはお母さんと呼ぶには私に近く、お姉さんと呼ぶには私から遠い、絶妙な距離感で接してくれる人だった。毎週1時間の面談で、簡単に体調について尋ねた後は、私のバイト先での話や恋人との話に付き合って相槌を打ってくれる。私の出すどの話題に対しても大袈裟に反応することはなく、深く頷いたり、なるほどねぇと私の目を見て呟いたり、いつもよく話を聞いてくれていると感じていた。カウンセラーという仕事上私の話をよく聞いてくれていることも分かってはいたが、少なくとも当時の自分からするとYさんは最も信頼できる大人だった。

Yさんは良い意味で「ゆるい」人で、私がどんなヘンテコに突っ込んで行ってもへぇ!としか言わない。変なバイトを立て続けにやっていることや、変な出会い方をした人を好きになったことなど、本当に何でも話したが必ず否定せずに聞いてくれた。私があまり話したくない時はYさんから話を切り出されることもあり、職場の近くにレモンサワーが190円で昼から飲める居酒屋が出来た時は、つい昼休みに飲みに行っちゃったよねぇ、なんてことすら話してくれた。

「Yさんはよく私の話を聞いてくれるけど、今まで辛かったこととかはないんですか」
なんとなく私がYさんに聞き返した時も、Yさんは大きく表情を変えることはなくゆっくりと自分の話をし始めた。
Yさんは一度結婚をしていたらしい。ぼんやりしていた私も悪いのかもだけど、などという言葉を混ぜつつ、本当に落ち着いた口調でYさんが話す。

ある日、家に新品のベビーカーが届いたんだよね。アマゾンから。子供いなかったから、びっくりして。何これって、よくよく聞いたら、外にもう一つ家庭があるとか言い出して。2人目の子が生まれるからってベビーカー買ったんだって。住所間違えて私と住んでる家の方に送ってきたみたいで……間抜けだよねぇ。
愚痴るような様子でもなく、ただ遠い過去を振り返るようにYさんはその話を私にした。結局それがきっかけで別れてからは、ずっと今の暮らしをしているらしい。

カウンセリングからの帰り道には、広い公園があった。その日、池の鯉達がぱくぱくと口を動かしながら寄ってくるのを眺めながら、私はYさんのことを考えた。
家に突然届いたベビーカーを受け取り、相手の帰宅までそれをずっと見つめているYさん。
その背中に手を伸ばすことができそうなくらい、私は努めて克明にYさんの過ごした時間について想像しようとした。が、何度試みてもそれは失敗に終わった。当たり前だが、それはYさんだけの時間だった。
Yさんは私の話を聞いて私を助けてくれる大人だが、私はYさんのそれではなかった。想像し切れる訳がなかった、ひとりでベビーカーを見つめるYさんの背中を。

カウンセリングの中で、Yさんは私がどんなことで傷ついたのか、注意深く観察してくれていたと思う。家庭で抱えたトラウマや、自身へのコンプレックスについて、本当に丁寧に紐解いてくれた。おかげでだいぶ自分の中でとっ散らかっていたものの整理がついて、補助輪なしでも生きやすくなったと思う。
「あなたが少しでも幸せに暮らせたらいいなと思ってるよ。大丈夫、あなたはこんなに素敵なんだから」
いつもYさんはそう言って私を励ましてくれた。人から優しくされることを簡単に受け入れ難い自分としてはそのたびに曖昧な返事をしがちだったが、その言葉は確実に私の心の糧になっている。
今振り返っても、Yさんへ抱く気持ちは畏敬に近いものがある。人間なんて、他者なんてと暴れ散らかしてしまっても不思議ではないようなことがあったのに、Yさんは私の手を取り優しく何度も励ましてくれた。大丈夫だよ、あなたは素敵だからと、何度も言い聞かせてくれたのだ。

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