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感動という傷

初対面の人に何が好きなの?と聞かれる。映画鑑賞や読書ですね、と退屈極まりない返答をすると、おすすめの作品は?とか、心に残った作品は?とかまた聞かれる。お決まりの会話セットだ。その時に答える作品名はまちまちで、基本的には相手がある程度興味を持ちそうなものを選んで答える。無邪気に自分が本当に好きな作品を答えることは滅多にない。

色々なジャンルの創作物を見てきたが、感動した作品というのは実は少ないように思う。「感動」というと何となく手放しに称揚できるもののことを指すイメージがあるが、私にとって感動とはその限りではない。すぐにその時の光景と感情を思い出すことができる。
治らない傷。例えるならそういうものに近い気がしている。過去のトラウマがいつでもフラッシュバックしてしまうのと同じような速度と質感で、本当に感動したことやものに関する記憶は不意に押し寄せてくる。

幼い頃親に怒鳴られて泣いた記憶と、大人になってから好きな人に静かに抱きしめられて泣いた記憶は私にとってはほとんど同じような痛みを伴っていると気付いた時から、心が震える出来事は大体全てが傷なのではないかと疑っている節がある。ポジティブであれ、ネガティブであれ、「心に刻まれる」という言葉もあるくらいだ。

とはいえ書いているうちに自信がなくなってきた。トラウマをなぞった経験を感動と取り違えている気がしてきたのだ。クローネンバーグのクラッシュやベルトルッチの暗殺の森、アンジェイ・ズラウスキーのポゼッションといった不気味で暴力性のある作品に脳を焦がされているので……。

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