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これまでの人生、急に振り返ってみた②

神奈川に引っ越したものの、夫(当時は恋人)は1ヶ月足らずで新しい仕事に適応できず退職。。。まあまだ試用期間だったので職歴は汚さずに済んだとか。この出来事はかなり応えたなー。今思い出しても、嫌悪感しかないので、未だによみがえらせたくないこと。
そして、わたしはそれに耐えきれず、なんとなんと郵便局のアルバイトをはじめることに。
この頃、わけわからんことしてたなー。
つまり、わたしはもう看護師から足を洗おうと思ってたのよ。違う仕事したい。
ていうか、専業主婦になりたかったの。でもそれもかなわず。

そしてわたしの郵便局のアルバイトも、しっくりこなくって。
その頃夫は、日雇いの治験とかでつないでて、そしてやっぱり地元の千葉に帰ろうって動いてた。
UR団地なら資金なくても住めるからって探して。それであっという間に千葉へ帰ってきて。
団地に住み始めてまもなく、夫と入籍しようってなって。それなら結婚式挙げようって運びになり、あれよあれよという間に挙式。

わたしは、また看護師として仕事始めたんだけれど、はじめ透析看護したけど適応できず退職。
やっぱり病棟看護じゃないと無理ってなって転職サイトから探してもらって、病棟看護師として再出発することになった。

うんうん。
この間、今頭をよぎった思い出は、母親に何かと嫌味な言動をとられてたなって。
まず、結婚するとなり両家族の顔合わせをしたんだけど、わたしが緊張して食事のパンをフレンチなのに手でちぎるところをかじったゃって…まあ、そういう失敗だって人間誰しもあるけれど、お母さんはその話をいつまでも面白おかしく姉とかに話してたり。
わたしの結婚式でも、全然嬉しそうな感じもなく、何かが気に入らなかったのか、式中もその後も不満そうな素振り。
娘の結婚式、どんなアクシデントがあろうとも、嬉しいものじゃないの?
あとわたしが臨月で姉の結婚式出席したときも、わたしの体調なんて一つも気にしないで、自分がよく見られようと必死だったな。

まだまだある。
この母親おかしいって、わたしは物心ついたときから思っていたぞ。
何というか、この人は他の人とはちがう。信用できない。裏表というか、ヒステリーというか、誠実さがなく、すぐにキレる。

そうやって感情の歯止めがきかず、怒りに身をまかせている母親の様子を、わたしは幼少期から、現在でも時折目にする。

母の実家に行ったとき、父親といるとき。
とにかく身内でいるときによくよく、母は感情をおさえられなくなる。

わたしはずっと、母がなんなのか悩んできて。前頭葉の働きが弱い、自己愛性パーソナリティなんじゃないかなという考えで今は揺らぐことがないかな。

なぜそうなったのか。幼少期にあまりにもショックなことを経験すると脳が萎縮してしまう、だとか、子供の頃に親に愛されないとそうなる、とかいわれている。

親に愛されなかった、という点では、わたしのおばあちゃんにあたる母の実の母親と、母はあまり仲が良くなく、おばあちゃんに対する不満のエピソードをよくきかされているしおばあちゃんちにいくと、よく二人衝突しているので、それは確かに思い当たる。
あと、今は亡きおじいちゃんが、閉所恐怖症だったりパニックになりやすかったと聞いているので、そこらへんの遺伝的な脳の弱さが原因にあるのかなーという見解。
おじいちゃんは、戦争を経験したりおじいちゃんの母が、おじいちゃんが高校生ぐらいで病死したらしいので、そのあたりのエピソードが関係してるのではないか。

本当に、こういった問題は世代間連鎖で、代々続く問題なんだなーと思う。

そしてわたしも、自分がアスペなのではないかと10代の頃思ってて、仕事でもたびたび適応できないことから、一度心療内科でアスペの診断テストを受けたことがある。でも結果はアスペではなかった。カウンセラーの人も、話した感じアスペではなく普通の人と同じ印象を受けるといわれた。

でもなんか生きずらくて、自分でもいろいろ調べて漢方飲んだりカフェインドリンク飲んだりしてやってたら、いつの間にか、自分でも、普通の人っぽくなってきたんじゃない?って思うようになり、生きずらさもだいぶ減った。

今、わたしはなんだったのかなと振り返ると、自己愛性の母親に育てられて、いわゆる洗脳のような、操作的な育てられ方をされたため、自分というものが奪われて、アスペみたいな脳になってしまったのかなと。

つづく…

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