わきまえない女、「差別」を考える。

先週末からニュースを見ていて色々思うところがあったので、スケッチブックにペンを走らせつつ、「差別」について考えました。



生活する国や地域、人種、性別、貧富の差、見た目……そのほか多くの「違い」が存在するこの世界で、差別意識ゼロで生きることの方が難しいのではないか、と私は思います。(差別を肯定する意図は全くありません。)

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私の中にもきっと、無意識の差別意識がある。
だからこそ、それに自分で気づいたときや、それは差別ではないかと誰かに指摘されたときには、その都度、自分の価値観を更新していきたい、と思うのです。

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自分には差別意識なんてない、という思い込みは避けたい。身の回りで起こっている差別を見逃してしまわないために。そして、その差別に加担してしまわないために。

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そして、今、「わきまえない女」という言葉とともに話題になっている性差別。これは、女である私が「当事者」となる問題です。
私自身、日常の様々な場面で性差別に出くわしますが、いちいち相手にするのが面倒で、笑って受け流したり黙って無視したりしてしまうことが多くありました。でも、そうすると、「女として」「わきまえている」ことになる。

じゃあもう黙らねぇよ。
ってなわけです。

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お、絵が完成しました。

(何を以て完成なのかは自分でもわかりませんが、もうちょっと描き加えたいかも……というところで筆を置くようにしています。)

性差別を「当たり前」や「本音」と捉えるお偉いさん方は、退いてください。次世代の妨げになりますから。あなた方の価値観は、もう先が長くありません。



まだ悶々としている状態なので、あまり考えがまとまらないうちに悩みながら書いてしまいましたが、とにかく、これからも「性差別」には当事者として立ち向かっていきたいと思います。


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