【書評】神が方舟を造らせるのではなく方舟が神を生み出す|夕木春央「方舟」
最近複数のnoterさんが挙げていた、夕木春央という名前。
以前から気になっていた作家さんなので、代表作「方舟」を買って読んでみた。
読了までの時間は4時間11分。
なお私は読書スピードがやや速いらしく、Kindleに書いてあった平均時間は6時間11分だった。
もはや何の参考にもならないことが発覚してしまったこの読書時間計測だが、自分の記録として残しておくことにする。
本書の解説と感想を綴ったので、お暇な方はどうぞ読んでやってください。
なお作品のあらすじには触れますが核心部分のネタバレはありません。
王道ミステリと心理的スリラーの融合
まずはあらすじから。
本作はミステリの王道である「クローズド・サークル」物だ。
クローズド・サークルとは、何らかの事情で外界と連絡を遮断された状態で事件が起こる創作物の総称で、アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」などが筆頭。
大抵の場合は連続殺人事件に発展し、探偵役と助手役が手掛かりをヒントに犯人を特定して解決する。
助けが来ない極限状態の中、次に殺されるのは自分かもしれないという恐怖が疑心暗鬼を生み、様々な人間ドラマが繰り広げられるのも見所となっているジャンル。
本作はこれを「誰かを犠牲にしなければ脱出できない」という特殊な状況下で描いた作品だ。
トロッコ問題に正解はない
ご存じの方も多いと思うが「トロッコ問題」という倫理論題がある。
この問題に正解はなく、主にふたつの事柄について考えることに意味がある。
ひとつは「命の重さは数によって決まるのか」。
もうひとつは「人が命を選別しても良いのか」。
「方舟」はこのトロッコ問題がテーマのひとつとなっている。
地震による地盤沈下で施設が浸水していく中で起こった殺人事件。
誰かを犠牲にしなければどの道全員死ぬのなら、その役割を犯人が担うのは当然ではないか?
けれどもそれは、自分達も殺人に手を染めることと同じになりはしないか…。
葛藤を抱えながら物語はどこかのんびりと、しかし着実に死の淵に向かって進んでいく。
ラストはまさに衝撃的で、非常に鮮やかだ。
BSSが読んではいけない
すでに大方の感想はレビューで出尽くしていると思うので、ちょっと違った視点からの感想をひとつ。
BSSとは「僕が先に好きだったのに」の略である。
片思いをしている女性に告白できないまま年月が過ぎ、やがて他の男と付き合い始めることを恨みがましく思う様のこと。
精神的NTR(寝取られ)ともいう。
本書はこうしたBSS気質の心を抉る内容となっている。
そのため「片思い=純粋」と考えている人が読むと精神的ダメージを食らう可能性があるのだ。
また、傷つきはせずともラストにおそらく納得がいかないだろう。
多分モヤモヤするだけなのでそうした方には本書をオススメしない。
舞台さえ整えば殺人は起きる
読み終わった後にレビューを見に行ったところ「動機が弱い」という意見が多かった。
しかし本当にそうだろうか。
たまたま日常を憂鬱に思う事情があり。
たまたま非日常に放り込まれてしまい。
たまたま殺人が許される状況が整った。
普通の人は殺人なんて犯さない、という認識は誤りだ。
社会通念上許されないから実行しないだけである。
その証拠に虫を殺しても罪には問われない。
人も虫も同じ命であることに変わりないが、社会の規範でそう決められているから虫を殺すことは許され、人を殺すことは許されないのだ。
レビューには「方舟にとんでもない悪魔が紛れ込んでいた」と書く人もいた。
確かに犯人のしたことを悪魔の所業と言いたくなる気持ちも分かるが。
悪魔は人を誘惑するけれど選別はしない。
人間を選別出来る存在、それを人は神と呼ぶ。
夜神月がDEATH NOTEを手に入れたように。
ルルーシュがC.C.と出会ったように。
神が方舟を造らせたのではない。
方舟が神を生み出すのだ。
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