薄闇だって地獄なのだ

現代は、「救ったげるよ」という態度にすごく拒否感を示すひとが多い、「いいえ、私は私なりに幸せです。間に合ってます。どうぞご自由に」みたいに。あれ、なんなんだろうか、どういう、心理なのだろうか。ちゃんと調べてないから仮説ですらなく憶測の域を出ないけれども、なんとなーく現代に特有的だと思う。その感覚が、こんなにも、普遍的でありますことは。

私はそれを薄闇と呼ぶ。
闇は、苦しくてつらい。深い闇はほんとうにまっくらだから。
けれど、闇があるなら、闇が深いなら、闇を識るなら、
ひかりをもとめることができる。

光が届かないのはじつは深淵だけではなく、薄闇。
むしろ現代において光が届かないのは深淵よりも圧倒的に薄闇であるケースが、多い。
眩しい、って言われてしまう。

薄闇の時代、さていかようにして照らしていくべきか。光は、神から演繹的にもとめることができる、なぜなら神は世界をつくるとき最初に「光あれ」と言われたから。

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