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【小説】 苦しみよ、さようなら

悲しみがこんにちはと言ってやってくるなら、苦しみを見送りたい。
声を出してしっかりと「さようなら」したい。
後ろ髪引かれるさようならではなくて、「決別」という単語で締め括れるくらいの潔いさようならがいい。
私ならそうする。
そうしたい。
「そうさせて」
はっと目線を上げると、祖母と眼が合う。
「え?」
「そうさせてちょうだい。私がそうしたいのだから」
祖母はよくそう言った。
私が選ぶのが遅くても急かすことなく、私が選びたい時間をゆっくりと相談して決めた。そして、決まって私が申し訳なさそうに欲しいものをねだらず我慢していると、母に掛け合って「私がそうしたいの。だからそうさせて」と言う。
そうすると母も仕方なさそうに許した。
上手いやり方だったんだなと、今になって思う。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、笑顔で返ってくる。
「ありがとう」
祖母の微笑みが好きだった。

「なんでできないのよ!」
母は決まって私を怒鳴った。
「わたしのため」と言う大義名分を掲げて怒り、呼吸をするかのように嫌味と愚痴を吐き続けた。その度に全てを受け止め、感情の処理係を勤めた。次第に常に母の顔色を伺うようになった私の素振りでさえ、母の勘に障ってしまった。私が不甲斐ないばかりに。
「ごめんなさい」
謝っても、大抵の場合許されない。
「謝ればいいと思ってるんでしょ!」
と、勝手に感情を決めつけられ、謝罪すら受け入れてもらえない。
あまりにも、謝罪しか言わなかったからかもしれない。
壊れたカセットテープのごとく、ごめんなさいしか言えなかった自分が、また責められる。尽く「お前が悪い」を刷り込まれる。

「ハナちゃんってロボットみたいだね」
きっかけは些細な一言だった。
何気なく一緒に遊んでいた子から言われた一言に過ぎないのに、その言葉が自分を歪ませる。
そういえば、私の感情ってどこにあるんだろう?
私はもしかしたらAndroidなんじゃないか、とか勝手に妄想が膨らむ。
そして、全てが夢だったら、なんて。

苦しさには色々な種類があって、第一に自分が自分として立っていられないほどに、「自分」がわからなくなる苦しさがある。
この苦しみから逃れるために、決まって私は生死の問題から人生観まで考えて哲学的な問いまで潜る。
誰にも邪魔されない読書時間に籠り、先人たちの考えを見聞きすることが傷を癒した。現実問題、恐ろしいのは生きている人間なのだ。
「あなたって何考えているかわからない」
黙って思考しているのが好きなだけなのに、第三者からしたら勝手にそう「決めつけ」られる苦しさもある。
「そりゃ、あなたに話す必要はないと思っているから」
と、思っていても口には出さない。それは相手を傷つける銃口になり得てしまうから。私は誰かを殺したいわけではないのだから。
たとえ傷ついたとしても、黙って言葉を受け止める。
それでも、辛いことは辛いので線を引く。ここからは入ってこないで欲しいという線を引いて、逃れる。常識のない人はズカズカと勝手に入ってこようとするから、完全な解決策とは言えないけれど。この苦しさもまた、永遠の課題だ。

こんな苦しみから、しがらみから、解き放たれたい。
ハシゴに一歩足を掛ける。
会えないと思った人からは距離をとる。
SNSから離脱する。撮影された写真も消して。
お互いのための生存戦略。
どうか、みんなお幸せに。
苦しみよ、さようなら。

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