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【小説】 後日談

「何も問題はないですね」
そう言われて私はホッと胸を撫で下ろす。
時計の針は15時を過ぎて、あちらこちらでバタバタと移動する足音が聞こえる。病院内は静かだと言いつつも、やはり裏側は大変そうだった。
「そうですか、わかりました」
「また問題がありましたら、何なりとおっしゃってください」
「はい、ありがとうございました」
そう伝えると、診察室を後にした。
何も問題はない、か。
あれだけの出来事がありながら何もないだなんて、不思議だ。
私はまた、忘れてしまっているような気がして怖いのに。
ペタペタと歩くように受付を通り過ぎ、待合所で会計を待つ。全体的にどうしてもお年寄りが多く、右側ではやれ孫が結婚しないだの、左側では嫁が動かないだの文句を言っているのを耳にした。みんな、自分勝手だ。
自分が動けないからって、全てを誰かのせいにして。自分ができたのだから他人にもできるだろうという押し付けがましい無責任な言葉。
「佐藤さーん、4番へどうぞー」
呼ばれた私が席を立つと、前方で子供をあやしていたお母さんの子供と目が合う。じーっともの目ずらそうに眺められて、思わず手を振ったらニコッと笑い返してくれた笑顔が可愛いかった。それだけで今まで耳にした駄文が全て無に返されるような思いだった。視覚から癒し。
お会計を手早く済ませて荷物をまとめると、病院を出て大きく伸びをする。外は蝉一つ鳴かない暑いだけのコンクリートが広がっていた。こりゃ東京は灰色の砂漠化するな。
日傘を忘れた私は街路樹もない道をひたすら太陽を浴びながらえっちらおっちらと歩き、また、信号待ちで焦らされ歩く。太陽にマウントを取られながら歩くのは今日で最後にしたい、と思いながら日傘を忘れたことを激しく後悔した。
駅の改札に着いて自販機で水のボトルを買う。ガコンと音を立てて落ちてきた水は冷たくて、一気に半分まで飲み干した私は潤った。
夏場の水ほど美味しいものはない。
熱中症に気をつけようと思いながら遠くに見えるビル群に思いを馳せる。
ここはもう、都内ではないけれど。
いずれまた、戻ることになったらその時は。
やってきた電車に乗り込みながら、交わした約束を思い出していた。
忘れないように。

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