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ワーママ女医、大学医局を辞めた理由。

現在フリーランスをしてる40代の女医
なつ🌱です。こんにちは。
週3勤務で働き方ゆるふわです。

今から少し前に専門医指導医まで取得させてもらった医局を辞めてフリーランスに転向しました。
ロールモデルやらなんやらで悩んでいましたが、結局その時勤めていた大学医局を辞めることにしました。

医局を辞める理由、何がきっかけだったか
辞める前に何を考えていたか

今回書いてこうかと思います。


理由①大学病院勤務に疲れた

シンプルに疲れました。
大学病院の勤務医の皆様、勤務大変ですよね?

人が多く、経験が浅い若い人も多く、学生もいて、リスクマネージメントが高い分、細かいルールも多く市中病院ではやらなくて良い会議や書類仕事
いっぱいありますよね。

症例も大学病院なので希少で治療が難しいものが多く、もちろん三次救急医療機関なので緊急で飛び込んでもきますし。やりがいはあるし本当に勉強になる毎日でしたが、

これ、いつまで継続できる体力が自分にあるんだろう、、、
というのが正直な感想でした。

理由②教育に疲れた

私は講師ではなかったので本格的な教室での学生授業はしていませんでしたが、入局後のレジデント教育はある程度担当していました。

私のキャパシティが狭いのが1番の原因ですが教育しながらの診療は大変で(特に手技系)1人で処置すればそこまで疲れないことが、教育しながら前に立たせながらトラブルが起きないように医療安全をコントロールするというのは、私にとってはかなりの重荷でした。

自分も指導医からそうやって育ててもらってますし、後輩が1つずつ手技ができるようになる事を見るのは嬉しさや達成感もありましたし、教育機関ですので当たり前の義務ですが後輩もプライドが高かったり一筋縄でいかないような性質の人もいますし、、(わかりますよね?医者だからさ、、)とはいえ、患者さんの安全が最優先で、、、

私は他人を叱るのは得意ではないので、医療安全優先で様々なことで自分が我慢することも多く、、

教育、、、
うーん、ほんと、、疲れていましたね。

指導側の性格的に向き不向きもありますし、教育に向いていないと自覚しながら自分の力量の範囲内で頑張っていましたが、

毎年新人が入ってくる大学医局。
永遠に続く新人教育。すり減る自分。

教育も続けていける自信はなかったですね。後輩の教育をしながらの患者の安全が肩に重くのしかかる感覚。大学病院にいる頃はこの重圧による緊張で肩こり頭痛がひどかったです。教育を専門にされていて、教えるのが上手な
穏やかな先生には頭が下がりまくりでした。

もうあと5年いれば自分が育てた子が大学に帰ってきて新人を教えて、、、という未来もあったかもしれませんね。さすがに来るかわからない未来まで辛抱強く耐えられませんでした。

理由③医局人事に疲れた

私も若い時に数回関連病院に出向させてもらいました。

誰がどの病院に出向になって
誰が大学に戻って来る。

時期は医局にもよると思いますが毎年秋以降はざわざわしますよね。それで大学も関連病院も人員体制が変化しますもんね。不満が出て直前で変わったりしてね。医局長は毎年大変だと思うのですが、どこも人事の告知後は不満続出しますよね。

変な上司のいるところに行きたくない
給料の良いところに行きたい
今の家から通える範囲内の病院がいい
症例を多く経験させてもらえるところがいい
楽で定時で帰れるところがいい
なんで同期のあいつは戻されなくて俺だけ大学に、、、
どうしてあの人は大学で苦労してないのにあの病院にいけたの?
私の番だったのにずるい

医局不満.com

人事の後よく聞く言葉です。
挙げたらきりがありません。

私も長年医局にいて自分でも不満を言うことがあったし、散々医局内の愚痴を聞いてきました。医局員が自分勝手だな、と思う意見もあったり、逆に医局側が不当だな、という人事もあったり、一般の企業でも人事異動は遺恨が残りそうですが、大学医局は異動が多いので、正直この人事に関する医局内の人同士で嫉妬や不満がとても多いし遺恨もありまくりです。

教授も医局長も「声が大きい人たち」の不満の声があると公平性より「うるさい声を消すための人事」をしがちなので、真面目で、声が小さい粛々と働く人たちが、忙しく薄給な条件の悪い職場に残されがちになります。

もうね、、この医局人事の不満の声、遺恨、声が小さい人たちが損をする、これに私は見てるだけで疲れてしまいました。(医局長殿、本当にお疲れ様です。)

産休育休とってからは、大学内の女医復職支援制度で守ってもらい
人事異動が少なかった私ですが、もし大学勤務をやめたいと伝えたら
医局側は関連病院への半永久的な人事異動を考えてくれるでしょう。

しかし今までの医局人事の「声が大きい人たち」やこれまで見て来た遺恨を考えると、家から近いなど希望の病院は言い出せず、かと言って自分の希望に合わない職場に行きたいわけでもないので、私は「医局をやめる選択」を考えるようになりました。

医局人事で関連病院にいくと半永久的と言われていても、数年経った時に、再度医局人事が発動されるリスクもありますよね。これも地味に嫌でした。医局内の人間関係で呼び戻されている先輩も見ました。40歳超えてから、定住したと思ったら急にあっち行けこっち行け、は自分には耐えられなそうでした、、、。

理由④自分のキャリアの方向性を理解した

これは自分会議の記事に書きました。

https://note.com/natsujoi/n/n054a717cb31e

自分がやりたい診療、積み重ねたいキャリアは

大学病院にいないといけないこと?
どういう病院、クリニック、職場ならできるの?
医者の経歴も含めてどんな人生になりたいのか?

これは医局やめる、やめないに関わらず、絶対考えた方が良いです。自分のやりたい仕事、人生のために医局にいた方が良い先生も、もちろんいらっしゃると思います。

理由⑤仕事以外の時間を増やしたかった

これはもう言葉通りです。

大学病院勤務時、週4大学、週1非常勤でした。

平日1日、休みが欲しい。
いや休みじゃなくて、子供なしで家事をする時間が欲しい。
子供と触れ合う何の意味もない時間が欲しい。
睡眠時間が欲しい。
そして自分のための自分時間も欲しい。


子供のいる土日だけじゃ自分の心も家もうまくリセットできない。
限界でした。

これは女医に限らず世のワーママみんなに共感してもらえると思います。特に在宅勤務できない職種は。家が乱れていくよね、、、。

理由⑥不満ばかりの自分が嫌いだった

「常勤医として辛かったこと」の記事にも愚痴を書き連ねましたが
大学勤務最後の方は仕事の不満が多くなっていました。

大学も非常勤も朝9時から働かせてもらっていましたが(他の常勤は8時とか8時半に来てる)それでも朝はバタバタ子供に「早くしなさい!!!」
毎日のように怒鳴る母。

定時ダッシュで帰してもらっても保育園ついたときにはヘトヘト。お迎え後お家についてまたバタバタとご飯お風呂子供の世話。自分に余裕がないと
子供の理不尽な我儘にもまたさらに怒ってしまい、朝も夕も怒っている母親。

モンテッソーリ?なんじゃそら。
そんなの大人の心に余裕がないとできないよ!!!

って状態でした。

こんなに仕事も子供にも不満だらけで怒っている自分。
こんな自分が一番嫌で嫌で。

自分のこと嫌いになりたくない。不満だらけになりたくない。
それには、、、働き方を変えるしかない。となった訳です。

まとめ

私が、大学医局を辞めた理由でした。

大学で長い付き合いのある先生方や看護師さんたちに、退職する前「なんでやめちゃうの?」と聞かれました。

私としては上記の①から⑥全部、総合的に考えて、、、というのが理由でした。が、聞いてくれた方に全てを話せるわけもないので

「仕事家事育児を行う上で自分のキャパが足りなくて、
家族と話し合った上で仕事量を減らすことになった」

というと皆納得してくれました。⑤の内容ですね。

でも実際は、①から⑥まで総合的にです。個人的には⑥の自分を嫌いになりたくない全てが詰まってるような気もしています。

辞めていく方は、理由を全て言わず去ることがほとんどだと思います。大学医局の働き方を一方的に批判するつもりはなくて、

「大学医局に所属する」という働き方が
今の自分の人生のターンとは合わなくなってしまった。

と思っています。

人によっては続けられるだろうし、もちろん医局によっても違うと思うし、
私も続けられなかったな、と思う寂しさも正直あります。しかし、

何かを得るには
何かを捨てることが必要な時もあります。

欲しいもの全ては持てません。

取捨選択だね.com

皆そうであるように私も私の人生の選択に、今のところ満足しています。そして今の自分の方が好きです。

長い記事になっちゃったよ。

誰かの参考になりましたら嬉しいです。
それではまた。

退職決意した後に考えたこと、はこちらの記事です。


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