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卵が先か鶏が先か

抱っこぉ〜〜

言葉をまだ話せない息子が
手を広げて私に抱きつこうとする。

8ヶ月の頃からだろうか。
手を伸ばして抱っこを
求めるようになった。

明らかに、
パパではなく”私”を求めている。

それを見て正直、私は戸惑った
自分をダメな母親とは思っていないが

息子に何も特別なことはできていない

むしろ周りから

「もっとーーしてあげたら?」

と、いろいろアドバイスされるような
母親である。
その自覚の方があった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

先日、お世話になっている
助産院に行った時
この話になった。

「最近、ママママ〜って感じなんです」

に70代の大先生はこう言った。

『そうでしょう。
親がいくら突っぱねたって向こうは
求めてくるのよ。無償の愛よ〜』

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今までずっと、

「親は無償の愛」を与え続ける、
と思っていた。

親の愛は、形を変えながらも
今日から26才の今だって感じている。

でも先に「無償の愛」をくれていたのは
子どもの方なんじゃないか、
と考え始めた。

母親である私が
産んだすぐの体で息子の
世話をし始めたのは間違いない。

だけど今思うとそれは
体に備わる【産み・育てる】仕組み
に助けられていた。

産んだあとの高揚感
愛情ホルモンがどば〜っと溢れ出し、

「赤ちゃんを守らなきゃ」
そんなホルモンにも
切り替わった産後の時期、

原始反射でにやっと笑う赤ちゃんを見て
本能的に育てていた感じ。

最近は意思表示も激しく
手がかかったり
10ヶ月相手にイラっと
することさえある。

だけど、今の感情を表すのなら
「私がこの子を世話したい」
そんな純粋な思いから
動いている気がする。

「ママがいい」「私から愛が欲しい」
そう訴えているような息子に
私は母親という「使命」を
受け入れ始めたのかもしれない。

そう言うと大袈裟だけれど

自分が与える側だと
思っていたのが
気づくと、

私の方が息子からたくさんの
ものを受け取っていた。

「無償の愛」は
私が先か息子が先か

考えていたけれど、
そんなのどっちが先だって
良いじゃないか。


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