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認知症の母に寄り添う父の愛情 

認知症の母をみながら決意した、我が人生は『ピンピンコロリ』で!

 76歳で認知症を発症した母は現在83歳。そんな母親を93歳の父親が献身的に介護している。でも、高齢者同士の老々介護の現実が2人の肩に重くのしかかっている。

 ある夜、突然兄から電話がかかってきた。夜中に粗相をするようになったと。父親がオムツを履かせているが、つけ方が適切ではなく、毎晩シーツが汚れてしまうのだとか。

 認知症の発症から約8年。ついにこの日が来たかという思いだ。離れて暮らす両親とは年に3〜4回しか会えていない。帰省すれば食事の支度や、掃除や買い物などに追われ、帰る頃にはクタクタになる。「実家パラダイス🌴」と呼ばれていた頃の寛ぎはもうない。実家に帰ることは私にとって結構しんどいことなのだ。それでも、自分の身体に無理のない範囲で、費用も切り詰めて帰省する。私が帰省するのは母の為ではない。えっ?じゃあ誰のため?それは介護している父のためである。

 母は、私達子供に対して自分の考えや意見を押し付けてくる人で、逆らうと本当に怖かった。私達の結婚にもことごとく反対した。結婚するときも当然反対された。夫と結婚すると、実家を離れて遠くに暮らすことになる。だから、紹介したい人がいると話したときも「そんな人!」と否定から入った。彼が結婚の挨拶に来た時も「別居結婚して欲しい」と彼に言ったくらいだ。(怒りを鎮めるために、実際に別居結婚からのスタートだった)

 そんな母が認知症になった。最初、電話越しでは異変に気づくことはできなかった。多分認知症の初期は、電話での会話では誰も気づけないと思う。話していることは普通に通じるから。何度も同じことを繰り返すことに気付いた後も、それを認知症として受け止めることができなかった。どうか違いますようにと願っていた日々もある。でも帰省したある日、一緒にご飯を食べに行き、注文表をみながら「どれにする?」という母に「これにしよう」という会話をエンドレスに続けた時に、認知症という病気を受け止めざるを得なくなった。

 進行を少しでも遅らせようと、私たち家族はネコを迎え入れる決断をした。高齢夫婦だから亡くなった後、面倒を見る人がいなくなるからと飼うことを控えていたけど、飼うことにした。動物セラピーという言葉があるように、そのネコは家族の一員となり、今では母の膝にいつもいる。夜寝る時も一緒らしい。その甲斐あって、病状の緩やかな進行に一役買っているように思える。

癒しネコ

 ある時、母は家の中で転倒して大腿骨を骨折し、病院に入院した。老人によくある大腿骨の骨折。見知らぬ環境で話し相手もなく、友達はテレビだけ。誰とも話さない病院生活は認知症の症状を悪化させていった。その当時、父に対して、なぜ自分は入院してしているのか、という電話がよくかかってきたようだ。転んだことも覚えていない、それが認知症なのだ。

 退院後は、歩けないので家の中、それも居間のソファに座って1日を過ごすことが多くなり、母の記憶はさらに薄れ、今では携帯電話の使い方もすっかり忘れてしまったようだ。話し相手が父しかいないので、父に話しかけるらしいが、93歳の父は耳が遠くなっている。聞こえないから返事をしないと、父に対して怒りを爆発させるらしい。認知症になっても感情はしっかり残っており、性格の激しさも変わりない。人間は老いても「心」は変わらないのだと改めて思う。父は、母からどんなに罵られても、母のことは施設に入れる気持ちはないという。優しい父と感情の激しい母。見ていて、いたたまれない気持ちになる。父も疲れると言う。そりゃ93歳で介護する側だもの・・・。少しは自由な時間が欲しいという。だから私は時々帰省する。少しでも父の気持ちが安まるように、そして母との介護に向き合えるように。

 私自身も認知症の対応は初めてだから戸惑ってしまうのが正直なところ。でも、母を施設に入れないと父が決めているのであれば、協力するしかない。介護用防水シートを買って行かなきゃ。これから介護費用もかかるんだろうなぁ。父には母を看るという覚悟があるけど、私は・・・。理想の答えはきっと、「親の面倒を見るのは当然」ということかもしれないけど、そんな綺麗事で済ませられないというのが現実。育児と違い、先の見えない今の状況に不安になる・・・いつまで続くのかとか・・・これが自分たちの行く道なのかと思うと、ピンポンコロリを目指そうと強く思う。

 そう、健康に気をつけて、頭を使ってnoteに投稿して、目指せ、ピンピンコロリ!
ではでは母のもとへ行ってきます!

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