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ダイヤモンドの花 『花の記憶 第五回』


※このコラムは、「植物生活×フローリスト」さんのウェブメディアで、2017年から連載されていたものです。

はじめまして、夏蔦の石井と申します。
2017年よりこちらでコラムを書かせていただくことになりました。
読み返した時に、自分で恥ずかしくなる様子が目に浮かびますが、どうぞ笑って許してください。

四季の移ろいとともに思い出す花や草木の記憶。引き出しに入れたまま忘れていた宝物のような記憶を辿り、季節の折々に記していきたいと思います。

2018.6






初夏に咲く、庭石菖(にわぜきしょう)という、葉や茎、花弁もがほっそりとした美しく小さな花が、風に揺れる姿はたおやかです。
花色は白か紫色で、夕方にはしぼんでしまいます。可愛らしいきわめて細やかな、芍薬の蕾のような丸みを帯びた種をつけます。
全長は人差し指くらいなので、目立つ花ではありません。



花好きな母がなぜか「ダイヤモンドのお花」と呼んでいて、私もグラウンドなどで見つけては持ち帰り、庭に移植していたものです。

思い出すのは、病院に咲いていた「ダイヤモンドのお花」が好きだったこと。
それに、たかちゃんのスニーカー。
私が4歳、細菌性髄膜炎にかかり入院をしていたころの記憶です。


約2ヶ月間、母がキシキシ音が出るパイプとビニールの簡易ベッドを病室に置き、付き添ってくれていました。
眠る時間が増え、反応が薄れ意識がなくなっていく私が怖かったらしく、起きられるようになっても、なかなか回復しない脳波の結果に、母はお何度も不安になったと言います。

車椅子で起きていられるようになった頃、
病院屋上へ連れてきてもらうと、そこに植えられた芝生の隙間にこの花が所々可憐に揺れていました。
母が洗濯物を干していて、風が吹いていて、なんだかとても嬉しくて大好きな時間でした。

ダイヤモンドのお花を母が摘んでくれて、私はそっと握って病室まで見つめて帰ります。母は、手帳に挟み押し花にしてくれました。元々細い花が押すとさらに薄くなり、持つと壊れてしまいそうで、息がかかると飛んでしまいそうでした。

唯一出来たお友達のたかちゃん。
隣の病室まで、いつも遊びに行きました。
ベッドから足がはみ出すほどの大きなお兄さんでしたが、もうずっと眠った状態でした。優しいおばあちゃんがいつもベッドの脇に座っていて、おしゃべりしてくれました。

ベッドにはたかちゃんが倒れてしまった時に履いていたのか、履いて歩く姿をご家族が夢見て置かれたのか、赤いスニーカーがぶら下がっていました。

ある日、幼くても何となくわかる隣の病室の異変に気づきました。静かにバタバタする廊下。
翌日隣のお部屋に行くと、ベッドにはたかちゃんの姿もスニーカーもなく、たかちゃんは真夜中に亡くなっていたことを知りました。


他にも色んな場面が浮かびます。
点滴や注射を打つ時に私は笑っていられたけれど、とてつもなく大きい注射器を背中に刺す時は、私が動かないように大人が何人も乗って押さえつけ、頑張れと励ましてくれるけれど、これには毎回泣いてしまいます。その私を見て母も泣きながら、応援してくれました。

入院中、食べたいとワガママを言って、兄、姉、父が手土産に持って来てくれた大好きな茹でたトウモロコシと、魚の味醂干しが美味しかったこと。
0歳から通っていた保育園の先生たちが遠い病院までお見舞いに来てくれたこと。病室ににひよこやくまのステンドグラスを飾ってくれ、魚釣りの遊びを磁石と画用紙で作ってくれました。
主治医の先生が、元気になったお祝いに売店で買ってくれた、ライオンの大きなペロペロキャンディ。
私はその後間もなく退院しました。


ダイヤモンドのお花を眺めながら、たくさんたくさん優しくしてもらったことを思い出しました。

せっかく授かった命、一度だけの人生。
それぞれの人生があること。

緑が揺れていて、風が吹いていることに、心が安らぐことは、私の大切な宝物のなのだと改めて思う、花の記憶でした。

※現在、花屋仕事は育児休暇中

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