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初声(はつこえ) 『花の記憶 第一回』

2017.10



※このコラムは、「植物生活✖️フローリスト」さんのウェブメディアで、2017年から2024年まで連載されていたものです。


はじめまして、夏蔦の石井と申します。
十月よりこちらでコラムを書かせていただくことになりました。
読み返した時に、自分で恥ずかしくなる様子が目に浮かびますが、どうぞ笑って許してください。

四季の移ろいとともに思い出す花や草木の記憶。引き出しに入れたまま忘れていた宝物のような記憶を辿り、季節の折々に記していきたいと思います。


「初声(はつこえ)」

元旦の朝に聞く鳥の声を「初声」というそうで、各季節にはじめて聞く鳥や虫の鳴き声もさすそう。

九月半ばの夜八時過ぎです。携帯電話に友人から、一つだけ映像が送られてきました。
私は家におり、その映像を開くと、ほぼ真っ暗。
「ん?」
ぼうっと見えてきたのは街灯の下で、街路樹なのか葉が風に揺れ、背丈の高い木がいくつか連なっていて、その木たちが1本ずつ画面を過ぎていきます。映しながら歩いているようです。

そして、耳に聞こえるのは秋の虫たちの「ひょーん、ひよーん」という声でした。

しみじみとしながら、彼女とすこしメッセージのやりとりをしました。
彼女は「季節がいっきに変わるね」と。

聞いてみると、彼女は都内の北参道を歩いていたそう。

北参道は、代々木、明治神宮、渋谷に近い街。そんな大都会の中でも緑は大切にされ、虫たちはこうして生きて秋の訪れを告げ、彼女は感じたままをメッセージとして私に送ってくれました。

季節の変わり目を彼女の映像で感じた嬉しさと、東京のど真ん中でとてつもなく忙しくお仕事をこなしながらもそんな感覚を大切にしている彼女を想い、「そうかあ。」と、良い気持ちに。

秋の虫の音、「初声」でした。

四季の中に暮らすことがありきたりの日々ですが、こうして自分ではない人の心を通して考えたり、改めて季節や古くから伝わる事を知り、それを思うと、余計にしみじみと沁みこんできます。



花を好きになったのは、思い返せないくらいずっと昔からのことで、高知の田舎の農家である父と母の影響かと思います。

私が道端から可愛いらしい雑草たちを根っこごと採ってきては庭に植え、毎年根がつかずを繰り返しても、もぐらや小鳥が道端で死んでいると持って帰り庭中にお墓を作って、そこに何かの種を蒔いたりしたけれど、二人は気にせず。

山から山野草を採ってくると、育ちやすいよう影ができる庭木の下にと言ってくれました。夏にスイカを食べ終え種を植えたくなった私に、大事なビニールハウスの中に少しだけその場所をくれ育てさせてくれた、そんな両親がいたからだと。

思い返すと、雉が姿を見せると、父は家に戻ってきて私を呼び、足音をさせないよう一緒に見にいきました。草むらから聞こえる「けーん」という声にドキドキしながら近づき喜ぶ父と私。
母が外で洗濯物を干し、ガラっと窓を引き中にいる私に「ほーほけきょが下手な子がおるよ、はよう聞いて」と笑い、寒いので動きたくなくてすこし面倒くさそうに母に近づいていた自分がいました。
そうか、初声はずっとそばにあるのだなと、改めて思い出しました。



私もみなさまに、草木がある日々の豊かさやたのしさをお伝えできたらと思います。ここまで読んでいただいてありがとうございました。
これからどうぞよろしくお願いいたします。




※現在は育児休暇中 (2024)

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