魔源郷 第25話「悪夢」

「ねえ、フィン。命って、何なのかしら…。」
 満天の星空を見上げながら、アリスは膝を抱えて座っていた。
 その横で、フィンは寝転がって、うとうととしながら薄く目を開けていた。
「あたしのこの体…、フィズちゃんの体。あたしは、フィズちゃんの体をもらって生きているのよね。…あたしは、何なのかしら…。」
「まだ、自分のことが分からないのか?」
「違うの。あたしは…フィズちゃんだけど、この心は、フィズちゃんじゃなくて、あたしの心で…、魂なのよね?…でも、何だかよく分からない…。」
「アリス。お前はお前だ。」
「あっ!流れ星!」
 突然アリスが声を上げた。それはあっと言う間もなく空に消えた。
「そう。命は、流れ星みたいなもんだ。」
 フィンが言った。
「…あたしも?」
「お前は死なないだろう。人間の命のことさ。いや、人間だけじゃない。他の生き物もそうだ。命は一瞬の光だ。どんな生き物も同じだ。生きて死ぬだけ。命は、ただそれだけのものなんだ。」
「はかないのね。でも、そんな一瞬なら、何のために生きるのかしら。だって、死んでしまったら、何もかもおしまいでしょ?」
「さあな…。アリス。お前は何のために生きてると思う?」
「え?何のためにって…それは…。」
 アリスは考え込んだ。
「あたしは…ただ…、皆と一緒にいたいだけ…。皆と一緒にいたいから、生きてるんだと思うわ。」
「生きる理由や目的なんて、何だっていいのさ。答えなんかどこにもありゃしないからな。だが人間は余計なことを考える生き物だ。だから、その答えを欲しがる。つまり…あれだな、自分が何者なのか知りたいのさ。」
「あたし、皆と出会って、自分が何者なのか分かって…生きてるって実感出来たわ。」
「人間は、他人と関わることで己を知るんだ。」
「あたし、もう記憶を失くしたくない。ジンジャーやテキーラ、それにフィンと知り合って、あたしはあたしでいられるんだもの。」
「それが命ってやつじゃないのか。」
「皆と一緒にいること…?」
 フィンは黙って星空を見ていた。無数の星々が、暗い夜空に瞬いていた。
「おい、フィン。」
 そこへジンジャーがやって来た。
「ヤツの姿が見えないんだが…。」
 ジンジャーは、周囲を警戒しながら言った。
「ラムか…。俺の邪魔をしようとしているようだったが。」
 フィンが顔をしかめて言った。
「嫌な野郎だが、ブランデーの秘密に関わっていることは確かなんだ。フィズも奴をブランデーだと言っていた…。姿だけを見て感じたとも思えない。おそらくフィズは本当にブランデーだと認識して言ったんだろう。奴自身は認めていないが。記憶がないだけで、記憶が戻ればもしかしたら…。」
「正直な所、奴に関わるのはごめんだ。俺にアリスのおもりをさせるだけでなく、奴のことまで押し付けるのはカンベンしてもらいたいね。」
「…これは俺の問題だ。お前に全て押し付けるつもりはない。ただ、お前には魔物の気配を感じる力と、浄化する力がある。俺にはそういう力はない。だから協力してほしいんだ。お前のその力で、何か分かるかもしれない。」
「そうだな…。奴は今、そのへんで俺たちを監視している。」
「奴がすぐ近くにいるのか?」
 ジンジャーは辺りを見回したが、どこにもラムの姿はなかった。
「…いや…俺たちじゃない…。俺を監視しているんだ。」
 フィンは険しい表情になった。
「あたし…分かった。」
 アリスが言った。
「この体は本当に、フィズちゃんの体なんだってこと。そしてこの体には、フィズちゃんの記憶がある…。感じるの。フィズちゃんはこの体で生きてて、お父さんとお母さんに愛されていたって。」
 アリスは両手で自らの体を抱きしめた。
「例え死んでも、その体には生きていたときの記憶が残っているんだ。肉体は、ただの魂の入れ物じゃないってことさ。」
 フィンが言った。
「大切にしなくちゃ…フィズちゃんの体。そして、今はあたしの体。これからも、あたしの記憶が刻まれていくのね。この体に。」

 無数の死体。その上に立っている。
「俺は一体何人殺したんだ?」
 綺麗な手には、血一滴たりともついていない。
 この、綺麗な手で、人を殺した。
 モノを壊すかのように。
 顔のない死体たちが起き上がり、一斉に襲い掛かってくる。
「私を殺して…。」
 一人の少女が、フィンの目の前に現れる。
 その体はみるみるうちに、恐ろしい魔物へと姿を変えていく。
「殺して!」
 顔だけが、人間の顔。
 白い顔の中の、黒い瞳をかっと大きく見開いて叫ぶ。
「殺して!!」
 迫る少女の顔。

「うああああーーーーーっ!!」
 フィンは自分の叫び声で、夢から覚めた。
「フィン!どうしたんだ?」
 ジンジャーが駆け寄ってきた。
「いや…何でもない…。」
 悪夢を見るようになったのは、最近のことだった。
 今までは、過去の夢など一切見なかった。
 常に背中の剣が、罪を自覚させていたから。
 割り切っていた。
 過去を背負って、今やるべきことに向かって進むだけ。
 それだけだったはずなのに。
「やあ。」
 そこへラムが現れた。
「お前か…。」
 ジンジャーがラムを睨み付けた。
「なんだか叫び声がしたから来てみたんだけど。」
「まさかまたお前が何かしたんじゃないだろうな…。」
 ジンジャーは疑っていた。
「え?何があったのさ?」
「お前には関係ない。」
 フィンが答えた。
「…相変わらずそっけないね。僕にだけは。」
「お前が嫌いなんだ。」
 フィンはラムの顔も見ずに言った。
「そうかい。僕は嫌われ者だなあ…あはは。」
「だが、お前の体は別だ。ブランデーのものかもしれない。そこに、得体の知れないお前が入り込んでいる。お前さえ追い出せば、ブランデーが戻って来るかもしれない。だからお前の体は必要だ。」
「おかしな言い方をするね。僕は僕。これはラムというバンパイアの体さ。昔はどうだったか知らないけど、今は僕なんだ。そう、アリスみたいにね。他人の体を奪って生きている…。」
「アリスは望んでそうなったんじゃない!そんな言い方はやめろ!」
 ジンジャーは、ラムに殴りかかろうとする勢いで拳を握り締めた。
「それじゃあ、僕だってそうかもしれないだろ?望んでこうなったわけじゃない。もっと僕にも哀れみを持って接してくれよ。だいたい、僕は君の親友、ブランデーかもしれないんだよ?」
「お前と話してると、ムカムカしてくる。」
 ジンジャーは顔を背けた。
「フィン!どうかしたの?」
 アリスが心配そうな顔でやって来た。
 そしてラムの姿を見ると、はっとしたように立ち止まった。
 アリスは身を震わせながら、恐る恐るラムに近付いていった。
「何だ?こっち来るなよな。」
 あからさまに嫌そうな顔で、ラムはアリスを睨んだ。
「怖い…。けど、フィズは言ったわ。この人が自分のお父さんだって。だから…。」
 アリスは目をぎゅっとつぶって、いきなりラムに抱きついた。
「おい!やめろ!」
 ラムは明らかに動揺していた。そして容赦なくアリスを突き飛ばした。
「てめー!」
 ジンジャーがアリスを抱き止めた。
「アリス。何だってあんなこと…。」
「体に触れれば分かるかもって思ったの。フィズちゃんの体の記憶で…。」
「あー気持ち悪い。ガキは嫌いなんだ。」
 ラムは、嫌なものでも取り払うかのように、手で体を振り払った。
 フィンはぼーっとしていた。いつもなら、背中の大剣から恐ろしいほどの殺気がみなぎっているため、普通の者は容易には近付けない。しかし今なら、剣が外れている今なら、隙だらけだった。それを、ラムは見逃さなかった。
 素早くフィンのもとへ飛ぶように移動すると、ラムは、フィンの首を絞めた。
「何してる!やめろ!!」
 ジンジャーがラムの傍へ向かった。
 ラムはどこから出したのか、片手に斧を持っていた。
「死ね!」
 ラムは、片手でフィンの首を絞めながら、片手で斧を振り払い、ジンジャーの首をスパンと綺麗に切断した。ジンジャーの首は体から離れて、地面に転がった。
「きゃああああ!!」
 アリスが叫んだ。
「バンパイアは皆殺しだ。」
 ラムはフィンから手を離した。フィンはぐったりとしている。
「ジンジャー!!」
 アリスはその場にへたり込んだ。足ががくがく震えて、思うように動けない。
「ウアアアアーーーーー!!」
 テキーラが怒りに全身を震わせながら、ラムに飛び掛かっていった。ラムはそれをひょいとかわすと、テキーラを押し倒して、腹を足で踏み付けた。
「お前も殺してやるよ。」
 ラムは、冷たい笑みを浮かべながら、テキーラの首を切断した。
「あ…あ…。」
 アリスは、あまりの恐ろしさに、頭が混乱した。目の前に、ジンジャーとテキーラの首が転がっているのだ。赤い血の池の中に、二つの首が浮かんでいるように。
 ラムは、アリスには目もくれず、フィンに近付いて、その顔を覗き込んだ。
「どうだい?フィン。君の大切な仲間とやらが死ぬのは。バンパイアでも、こうなれば死んじゃうんだよ。死なないのは君だけさ。僕がわざと殺さないんだからね。フフ…。すごく嫌な気分だろう?僕が憎いだろう?僕はね、今、スゴク気分がいいよ!最高さ!!アハハハハハ!!!」
 ラムは、狂ったように笑った。
 フィンは、ただ人形のように、ぼうっと座っているだけだった。
「フィン!フィンったら!」
 アリスが泣きながら、フィンを揺すった。
「ジンジャーとテキーラが…!」
 それでも、フィンの目は虚ろで、アリスの呼びかけにも応じなかった。
「アアアアアアーーーーーー!!」
 アリスが魔物と化した。
 その瞬間、フィンの目つきが変わり、素早く立ち上がった。
 魔物の気配には、敏感に反応する。
 ――俺には魔物を浄化する使命がある。
 フィンは魔物と化したアリスに向かっていった。
(もう…イヤ…。フィン…あたしを殺して…。)
 アリスの心の叫びが響いた。
(もう…変身したくない…。あたしは死にたいの…。フィン…お願いよ。あたしを殺して…!)
 アリスの顔がドロドロに溶けて、見たことのある少女の顔へと変化していく。
(フィン!あたしを殺して!!)
 フィンの手から、光が迸り、魔物を切り裂いた。
「俺は…。」
「そう。それでいいのさ。」
 ラムが言った。
「余計なモノは捨てていけばいい。君は一人で生きていくんだ。一人で罪を背負って、罪の償いをするんだ。仲間なんていらないんだよ。殺人者にはね。君はそれほどの罪を犯した。分かってるんだろう?だからこそ、人との関わりを避けてきたんじゃないか。いらない感情に心を乱されて、本来の目的を見失うことがあってはならない。そうじゃないか?君は一度死んだ。そして、罪の償いのために生まれ変わった。君は贖罪のためだけに生まれた。それを忘れるな。」
 その者は、ラムではなかった。
 白い髪に、碧の目。同じ顔、同じ姿。
 自分そのものだった。

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