「毛皮のマリーズ」について語る
こんにちは。ぱるむです。
2月末に毛皮のマリーズに出会い、ボーカル志磨遼平に魅せられました。
今回はその莫大な愛を自己満足で文字に起こしていきます。
2010年にリリースされた4枚目のアルバムであり、毛皮のマリーズがデビューする際にリリースされたアルバム「毛皮のマリーズ」について話していきます。
毛皮のマリーズとは
2003年に結成され、2011年12月31日をもって解散した日本のロックバンド。ファンはマリーズメイニア(MARIES MANIA)と呼ばれる。志磨遼平(ボーカル)、西アメリカ(ギター)、ヒロT(ベース)、富士山富士夫(ドラムス)の四人組バンドである。
毛皮のマリーズ
01. ボニーとクライドは今夜も夢中
ボニーとクライド(Bonnie and Clyde)は1930年代前半にアメリカ中西部で銀統合等や殺人を繰り返した犯罪者。
ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで多くの強盗を犯した。後に映画化されたほか、舞台、小説、音楽など文化的な影響を与えた。
当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌のもとにあり、繰り返し凶悪な犯罪を犯す彼らを英雄視する風潮があった。
「どうか神様お願い二人を許して」という歌詞がとても好き。
誰かと恋に落ちるとき、それはいくつかの障壁を伴う。
例えば住んでいるところが離れていたり、恋愛禁止の環境で恋に落ちてしまったり、恋人がいるにもかかわらず他の人と恋に落ちてしまったり。
そういったとき、二人は取り返しのつかないところまで行ってしまう。
そういうときは神様に頼むしかない。許しを乞うしかない。
神頼みしなければいけないほどの恋愛は素晴らしいと思う。
ボニーとクライドが最期射殺されてしまうくらいの、それでさえも互いに一緒に朝まで過ごしたいと思えるほどの熱量。
それをこの曲から感じることができる。
障壁があるがゆえに熱くなれるのか、それとそれが無くとも心から愛し合っているのか、時々考えることがある。
分かりやすい例は、同棲を始めたら互いに慣れてしまい倦怠期が訪れる例である。
せっかく一緒に共有できる時間が増えたというのに、そのありがたみが薄れてしまう。
でもきっと、ボニーとクライドは天国で強盗なんかせず愛し合っているのだろう。
1000回のキスじゃ足りないくらいの恋をしてみたいものです。
ちなみに、志磨遼平は「一昔前のロックバンドが、レコード会社にイヤイヤ書かされた(であろう)シングル曲」と言うのをテーマに書いたそうです。
タイトルは一通のファンレターから想起したそう。
それでも私はこの曲は毛皮のマリーズの中でも大好きな曲のひとつです。
02. DIG IT
志磨遼平が21,2歳のころ、毛皮のマリーズを結成したばかりの時に書いたナンバー。
当時彼が聞いていたというフェイセズ(Faces)の影響を色濃く受けている。
私は60,70年代の海外のロックバンドを一切聞かない。それでもその年代の音楽の雰囲気はなんとなく分かる。
そして志磨遼平の音楽を通して、彼が親しんでいた音楽をいま享受しているような気がする。
毛皮のマリーズのオマージュ元の作品を時々聞くのだが、まさしく影響を受けているのだと確認することができる。
一曲目と二曲目はたまたまキーが同じなため、流れがスムーズである。確かに、言われてみれば一緒だ。
歌詞は木偶の棒な男が思い浮かぶが、何もかも嫌になった時この曲を聞くと自分自身が木偶の棒になれるので心地が良い。
03. COWGIRL
70年代のストーンズ調のR&R。演奏は完全な一発録りでギターのオーバーダブも無い。
「マサチューセッツの暴れ馬」という文句が初めに浮かび、カウボーイのラブソングを書こうと思い立ったそう。
マサチューセッツ州にカウボーイがいるのか不明だったためネットで調べると、ちょうど前日にマサチューセッツのハイウェイでカウボーイがトラックから逃げた2頭の牛を瞬く間に捉えて戻し、名乗らずその場を去ったというニュースを見つけたらしい。
当時2009年ですらカウボーイがいたのだと驚いた。
奥野真哉さんのニューオリンズ風ピアノが入り、また雰囲気も変わる。
この曲は歌詞と言うよりもう曲調と雰囲気が好き。
何も考えずに気分が上がる。
恋愛の曲と言っても、歌詞がアホらしい。
「今すぐ会いに行く」「君は僕のもの」「泣いたってもう君を忘れられない」
若い男の子かな、純粋でまっすぐだなあ、といろいろ想像を巡らせて聞くのも楽しい。
04. 悲しい男
この曲も21歳ごろのナンバー。ディラン、CCRのフォークやカントリーを狙って作られたそう。
奥野真哉さんのレズリー・ハモンド、サビの三声のハモリ、ビブラフォンやリコーダーも入って、より一層雰囲気が出る。
レコ倫にこの曲の歌詞を事前に確認してもらったところ、OKの審査とともに「いい歌詞だと思います」とお褒めの言葉を頂いたいわくつきの曲。
このアルバム、元気が出る曲の合間合間にメロディーは陽気なものの歌詞が悲しい曲がいくつか入っているような気がする。
「それすらできない」も笑われることについて書かれている。
寂しいときはこの曲を聞く。
私は泣き虫だからすぐに泣いてしまうけれど、悲しい男みたいに悲しさすら知らずに笑って死ぬくらいの気持ちで生きてみたい。
05. BABYDOLL
NATSUMENのA×S×Eさんのアレンジでレコーディングが行われた曲。
毛皮のマリーズの素質を引き出すことだけを考えてくれたそう。
もともとの曲はモータウン調、チープトリックや70年代のアイドルロックバンド(ベイシティローラーズやスウィートなど)的な装飾を加えて、さらにA×S×Eさんがはみ出た部分をすべて引き出してくださった曲。
奥野さんのホンキートンク・ピアノも素敵。
歌詞は大好きなお母さんを亡くした幼い女の子のお話。
曲ごとにストーリーと主人公がいるのは前作「Gloomy」の反動かもしれない。
「わたしが今幸せなのは ただただ君が好きだから」と言う歌詞が狂おしいほど好き。
好きという感情の素晴らしさよ!
対象がヒトであれ、モノであれ、なんにせよ好きでいることの活力。好きを原動力としたパワー。
私はこの感情に何度も救われた。(その反面、何度も痛い目を見た。)
今は絶賛毛皮のマリーズに、ドレスコーズに、志磨遼平に恋をしている。ここでいう恋とは、リアコやガチ恋という意味ではなくほんとうに狂うほど彼の音楽を聞いて感情を揺さぶられているという意味での恋である。
彼の音楽を聞いているだけで私は幸せ。
お金も無い、たいした能力も才能も無い。恋人もいない。
でもこの音楽を好きでいることは私の幸せに直結する。
悲しい歌詞とは逆しまで、この曲を聞くと好きという感情の素晴らしさに気がつくことができて嬉しい。
志磨遼平は中学生のころから周囲とは異なった趣味に没頭し、まるで孤高な男にまでのぼりつめてしまった人である。
だからこそ彼の口から聞くその歌詞に説得力が相乗効果となって心に刺さるのだと思う。
06. バンドワゴン
志磨遼平が燃える音楽というのがあるそう。
それをふんだんにこの曲にのせている。
彼が好きそうなそういう雰囲気を感じられる。
私はそれだけで嬉しい。彼の形にしたい燃える音楽を、約十年以上後こうやって聞くことができる喜び。
趣味嗜好は変わったのだろうか、音楽に詳しくないため分からないのだが、ドレスコーズにこのような曲があるのかどうか調べてみることにする。
「どうせ会えたんならすることしたいわ」という歌詞が好き。
少し投げやりな感じ、「どうせ」という少し不器用な感じ。
雑な感じがするけれど、きっと演奏を始めたら華麗に作り上げてしまうんだろうな。
このアルバムは主人公がいるものだから、ついつい想像が止まらなくなってしまう。
07. サンデーモーニング
20歳のころの曲で最初の自主制作盤(2003年)と「初期名曲集」(2004年)という自主盤に二度収録されているため、このアルバムで三度目の収録となる。
志磨遼平の数少ない友人の間でヒットした曲らしく、この曲が再収録されることを学生時代の同級生や前身バンドのころから付き合いがあるバンドマンは大変喜んでくれたそう。
タイトルは当初、「桜の花の満開の下」といういかにも厨二病全開なタイトルだったが、春になるたび桜ソングが大量発生するのを鑑みて「サンデーモーニング」となった。
歌詞が若くてこっちが恥ずかしくなってしまいそうなものなので、でもそれがこの曲の良さで。
自分自身でバカだと分かっているけれど、やっぱりバカに一人の女を愛して歌うなんて。かわいい!
いつか思い出のレコードを好きな人と桜の木の下に埋めるという青クサイことをしてみたい。この曲に倣って。
08. それすらできない
「知らない街に降りしきる5月の雨」という歌詞は、志磨遼平が単身で上京してすぐのころ、あまりに金が無く(食事は一日に200円のロールパン一袋のみ)工事現場の警備員を数か月間していたそう。新白合ヶ丘の山奥の現場か西葛西の現場か、ほぼ運休状態の現場に雨の中ただ8時間立つだけ、という悟りを開かざるを得ない作業内容の日があったらしい。
「きっと今が人生で一番キツい時期なんだろうな」と思った記憶が強く残っており、その日のことをこの曲に書いた。
この話を踏まえたうえでこの曲を聞いてみると、また感じ方が異なってくる。
「俺を笑ってるヤツらは バカをこじらせて死ねばいい」という歌詞がとても好きなのだが、一層好きになった。
志磨遼平の好きなところは、やっぱり何かの原動力を好きのパワーにしているところ。
きっと、彼がお金もなく必死に生きて辛い日々を過ごしている間にも恋をしていたのだろう。
私は、恋を原動力に生きていた時もあれば、恋愛なんてクソくらえ!と趣味に没頭した時もある。
今振り返ると過去の私はバカだ。笑いが出てしまうほど。
そして今の私もバカなのだろう。将来の私に笑われている気がする。
けどそれでいいのだと、彼の力強い歌詞と歌声で私は好きのパワーで生きていく。
09. 金がなけりゃ
ロックンロールと「中南米トロピカル系」のムードは相性がいい。
志磨遼平は名前も分からない謎の楽器をカジャカジャいわせている。
かわいい!
前曲とは打って変わって、ド直球な金の曲。
頭を空っぽにして聞くことができる。
私もお金が欲しい。もっとライブに行きたい!
10. すてきなモリー
初の栗本ヒロコのリード曲。
メロディが最初に浮かんだ時から彼女に歌ってもらおうと決めていたそう。
歌詞に登場するモリーちゃんが太宰治の小説に出てきそうな性格で、何故か脳内では木村カエラさんの声で再生されていたので、仮タイトルは「木村治」。
なんとなくイメージはパワーポップな感じ。
モリーちゃんは悪い男に騙される思い込みの激しい素朴な田舎娘。
赤毛のおさげで歯には矯正、フリルのついたギンガムチェックのワンピースという設定。
タイトルは60年代洋楽の邦題風。
この記事を拝読するまで、全く同じ女の子像が自分の中にあったので大変驚きました。
「思えば冬がキライです センチメントがキライです」
「春を売った覚えなどないのに アレがまったく来やしないわ」
この節が好き。
私も冬が嫌い。三年連続失恋しているから、とってもセンチメント。
私も春を売った覚えがないのに全く来ない。
いつも思いもよらないときに夏が来る。そしてその暑さにくたびれてしまう。
モリーちゃんはヒールを折ってしまうのだが、私もヒールを折ったことがある。
その時は片方ヒール無しでアンバランスに歩いて帰った気がする。
そしてモリーちゃんが恋をする悪い男、「あの人はいつも気取って 私を鼻で笑って」
ああ、モリーちゃんダメ男ホイホイだね。と同情しながらも、それは自分自身に対しての態度なのかもしれない。
11. 晩年
ラストは前回に引き続き弾き語りで締まる。
当初はバンドアレンジだったが、ニール・ヤングをイメージした弾き語りに変更した。
「毛皮のマリーズ」製作期間は太宰治の生誕100周年だったため、いたるところで太宰作品を目にし、一から読み返した年だったそう。
ここでメジャーデビューを果たし、再スタート、心機一転と言うことでバンド名を冠した。
それまでは「晩年、或いはファースト」というタイトルにしようと考えていたらしい。
私は「毛皮のマリーズ」のほうが好きかも。
春の夕暮れの曲。若さは春が似合う。独特の気怠さ、エロス、焦燥感。彼は春が来ると何故かある日突然、いてもたってもいられなくなる。
志磨遼平は春が来るたびに無謀な行動をとっているそう。
高校中退、上京、バンド解散、レコード会社に座りこみ…。
それらが今に繋がっていると思うと、彼は春に押されてここまで来ているのかもしれない。
「だって僕らは大人なんだから」の歌詞は、ドレスコーズ「ハーベスト」の歌詞と似ていると思った。
子どもじゃない、大人なんだから、と若さゆえに背伸びしたい気持ちや大人にならなくてはいけない焦りがあるのかもしれない。
春は節目の季節。新しい年度が始まる季節。
そのたびに今日までの自分を振り返る。
そして自分の幼さを嘲笑し、今の自分が如何に成長して大人であるかを確認する。
これは意識的にしているわけではない。この曲を聞いてふと思い出した。
「それすらできない」でも述べたように、過去の愚かな自分を笑ってそこで自身が大人になったことを確認する作業は無意識的に行っていたのだ。
このアルバムで一番好きな歌詞は、「そしてその罪をつぐない続けたい」「でも僕はどうしても人を憎む事ができない だからずっと自分を憎んで立っていよう」
この2節が狂ってしまいそうなほど好き。
私は大学2年生あたりから自分が犯した罪をつぐなわなければいけないという、そんな漠然とした感覚があった。
地元を出て一人で生活を始めた。
12年間女子校に通っていたので、新しい人間関係の作り方を知らない。
沢山の人に迷惑をかけた。私自身で私を陥れるようなことを幾度となくしてしまった。
自分が未熟すぎるからこそ、友人や他人になにか酷いことをされてもどうしても憎むことができない。
それはすべて自分に返ってくると思っているからだ。
自分が友人や他人にしてしまった酷い行動がめぐりめぐって自分に返ってきたのだと思う。
自責をするとある意味で逃げではあるが、とても楽になる。
私がすべて悪いと思うことが救済なのだ。
もちろん、「はいはい、私が悪いんでしょう。」という投げやりな態度ではない。
私は人を憎むことができない。嫌いになることができない。
偽善者でもいい人ぶっている人でもない。
しばらくは自分を憎んで、愛して生きていこうと思う。
アルバムはテーマがあらかじめ意識的に設定したものもあれば、無意識のうちにまとまったものもある。
「毛皮のマリーズ」のテーマの一つは、春という季節。春を連想させる歌詞が4曲も収録されている。
「リリー、春が来たのよ」「 BABYDOLL」
「桜の下に埋めるのさ」「サンデーモーニング」
「春を売った覚えなどないのに」「すてきなモリー」
「すべての時が止まった春の夕暮れに」「晩年」
もう一つは、架空のストーリーが主人公からの視点で歌われるという点。
これは全く意識されていなかったそう。ボニーとクライドを気取った少年と少女。恋にやぶれたカウボーイ、笑う事しか知らない悲しい男、最愛の母を亡くしたばかりのリリー、など様々な設定の主人公が出てくる。一様に不幸体質、被害者体質な気もする。
それでも彼はそいういう境遇に置かれた人間というのは美しいと感じるのだそう。
最後は、小さくても大きくてもなにか夢見ている若者に向けて書いた曲ばかりという点。
これはあきらかに意識して作られたそう。
彼がやっているのは浪花節ではない。ロックンロール!
ロックンロールはすべての願いをかなえる魔法の音楽、そして人類すべての願いが託された文化。
2022年は「戀愛大全」というアルバムがリリースされた。
その際も「すべての"頭の悪い"若者のために、愛をこめて」と素敵な曲たちを私たちに送り出してくれた。
志磨遼平の言う「若者」とは、20代前半までという定量的なものなのか、あるいは心が若者といった定性的なものなのかは分からない。
それでも21歳の私は彼に甘えて若者を気取らせていただこうと思う。
そして悩むたびに、いや悩まなくとも彼の音楽をきいて彼に恋をする。
それが今の生きる原動力となっている。
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