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一人ひとりに違うカタチの「優しさ」を

なつです!こんばんは🌝
475号
有難いことにめっちゃ大きい筍をお裾分けしてもらいました👀



では本題!

自分が嬉しいことと相手が嬉しいこと、

お節介と思いやり。


双方どちらも「優しさ」の現れだと思う。

けれどもその2つには
違いがあるなぁ、と感じた。

だから、お節介と思いやりの違いを
考えてみようと思う。


まずは言語的に理解を進めてみる。

お節介は
切匙・狭匙(せっかい)という
鉢やすりこぎの内側についたものを
落とす道具が語源。
切匙がすり鉢の溝に入り込むように、
他人の内に細かく入り込もうとすることを表し、
間に挟まることを意味する「介」の字を含んだ
「節介」という漢字が当てられるようになったとのこと。
干渉や口出しとも言い換えられる。

切匙が「じぶん」
鉢が「相手」だと捉えてみると
お節介は「じぶん視点」の行動だといえる。

ただ
相手の内に入り込む、切り込む
という点で言えば、
お仕事や大切な場面では
相手の中に踏み込むことが
必要な時もある。
それが「叱る」ことなのかと思ったりもする。


一方、思いやりは
自分の身に比べて、
人の身について思うことだという。

この通り、思いやりは「相手視点」の行動だろう。


お節介と思いやりは、
じぶんの正義の名のもとの「優しさ」が
源流にあるものだと思う。


「優しさ」は
じぶんがしてもらって嬉しかったことを
同じように相手にすること

もしくは

じぶんがされて嬉しくなかったことを
相手にはしないこと
でもあり、

相手がしてもらって嬉しいことを
観察し想像してすること
でもある。

「優しさ」はいろんなカタチがあると思う。


大切なポイントは、
優しさを向ける「対象」だ。


「良かれと思ってしたことなのに」

そういう場面に出会ったとしたら
じぶんにとっての優しさのカタチ

相手にとっての優しさのカタチは
違うんだと思いたい。

じぶんがされて嬉しいことが
必ずしも
相手にとって嬉しいことでは
決してないのである。


こうやって改めて
お節介と思いやりを見つめてみたら


じぶんに対してはお節介を
相手に対しては思いやりを
もって行動することが、
わたしの正義のもとでは
「優しさ」の体現なのかと思った。


じぶんも相手も違う人間。

違うが故に
理解をできない一面もあるだろうけれど
じぶんも相手も大切な人を
大切にできるように
「優しさ」を示していこう。


今日も素敵な自分で🌻

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