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極論、どうせ死ぬ。だからこそ

今年もあと3ヶ月で終わる。

たった3ヶ月、もう3ヶ月、でも「まだ3ヶ月!」。

今からいくらでも挑戦できるし、達成もできる。
ちょっと気を引き締めてがんばってみよう、と急に元気が出てきたので、どうせなら「今年の目標」を達成してみようと思いついた。

今年の目標は、何でしたか?

元旦に考えた「今年の目標」。

1年スパンでの目標だけれど、本気になれば残りあと3ヶ月だってどうにかできるはずだ。

せっかく考えた目標なんだから、どうせなら達成して気分よく新年を迎えたい。


と、考えたものの「今年の目標」が、なんだったか思い出せない。

はて。

とりあえず、今年の1月は今の私の職業である「webライター」という仕事の存在も知らなかったからライティングに関する目標は決めていない。

育児のこと?働き方全体のこと?健康?家族のこと?

さて。目標はなんだったか。いつも思うのだけど元旦に立てた目標ってすぐに忘れてしまう。

忘れるくせに立てる必要はあるのだろうか。そんな風に考えながら、日記帳を開いてみた。

毎日書いている日記帳には目標を記入する欄があったはずだ。そこを見れば早い話。

さて、今年の目標は…。

ちょっとわくわくしながら日記帳の1ページ目をめくってみる。


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空白だぁ!

なんと。私は目標を立てていなかった。どうりで思い出そうとしても思い出せないはずだ。

私はこの数分間、存在しないものを一生懸命思い出そうとしていたようだ。

考えてみたら「どうせ忘れるから立てなくていい」と毎年立てないようにしてたんだっけな。


どうせ、忘れる

「どうせ忘れるから」という同じ理由で私は占いもやらない。占い師さんにお金を払っていろいろ見てもらって助言されてもすぐに忘れる自信がある。

どうせ忘れるなら、しない方がいい。


でも、はたしてそうだろうか。

私が言っていることは、極論、どうせ死ぬから何もしなくていい、ってことと同じかも。

そりゃいかん!

どうせ死ぬけど、「どうせ死ぬからこそ」楽しんだ方がいいし浮かれちゃった方がいいし、面白そうなことには首をつっこんだらいい。



今まで、「どうせ忘れるから」ってしなかったことがたくさんある。
けれど忘れたとしても、それはそれでやってみた方が自分の可能性を広げられるのではないだろうか。

そもそも人生ってほとんどの出来事が「忘れ去られること」なんだから。


来年の元旦は年始の目標を立ててみよう。すぐに忘れちゃうだろうけど、こうして急に9月が終わろうという頃に思い出そうとすることもあるんだ。


「どうせ忘れるけど、やってみよう」と、そう思えたことでちょっとわくわくしてきた。

すごく些細な気持ちの変化なようだけれど、「どうせ忘れるからやらない」という考えはずいぶんと自分の未来を制限していたのだろう。

しょうもない制限から解放されて、視野が広がった気がする。

制限しているのも自分で、されていたのも自分。

もしかしたらこういうことは多々あるのかもしれない。解放していかなくっちゃ。








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