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器用に生きることができたら、見える景色は変わったのだろうか。

 こんばんは。最近、考えていることですが、タイトルにある通り、もう少し器用に生きられたら、ここまで追い詰めるようなことにはならなかったのかなと思います。私は、やることは分かっても、それを時間をかけすぎること、たくさんあると知っても、一つずつしかできないのです。それは人間関係でも同じです。一つのきっかけがあると、その人の見る目が固定されてしまいます。どのことも切り替えが上手くできたら良かったと思うのです。
 学生の頃から、一つのことに集中してしまったあとは何もできなくなってしまいます。勉強も、新しいことを知ることが楽しくて、先生の話を聞くのも苦痛はありませんでした。ノートに話をメモすることで、そんなことまでメモするの?と化学の先生に言われたことも覚えてます。しかし、そのあとにある課題はどうしてもやるのがギリギリなのです。思えば、あの頃から時間の使い方、切り替えというのは苦手だったのかなと思います。そのせいで、大学受験というものも、満足のいく結果ではありませんでした。しかし、行った大学には後悔はなく、文章を書くのが好きと気付けたのはレポート課題が多かったからです。そこは本当に有り難いです。
 私が器用に生きられないのは人間関係もです。もし、感情のコントロールがもう少し上手くできたら、苦手な人とも話せたのかな、と今の職場の環境を見ると考えます。もう少し、関わり方の切り替えをきちんと出来たら、仕事中も追い詰めることはないのかなと思います。
 この2日間の休みのなかで、なぜ、職場が辛いのかと考えると、自分の不器用さが原因なんだろうなと思います。例え、職場の方が苦手でも、そこを気にせずに接することが出来る人もいるだろうと思うと、切り替えが下手すぎるんだなと思います。器用に生きることができたら、どれだけいいんだろうかと考えますが、この私になったのこれまでの積み重ねによる性格なので、認めて許せるような心持ちで過ごしたいと思います。

 この2日間の休みで、これからやるべきこと、けりをつけたいことも決まりました。このこともいずれかnoteに残そうと思います。ではまた明日。

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