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JR尼崎脱線事故から18年。当時18歳だった私の実体験の話。

これはただのわたしの独り言だ。
今日2023年4月25日で18年。JR尼崎脱線事故をみんなは知っているだろうか。電車に乗って事故なんか起こるなんて誰が想像できただろうか。私は当時18歳、この電車の2両目に乗っていた。何曜日だったか、大学入学したて、2限目を受けるために毎週同じ電車に乗り、大学に通っていた。宝塚始発で発車するこの電車に乗るとき、決まっていつも座る場所があった。私のお気に入りの場所。そこに座るために電車に乗ったら、その日だけ、いつもと同じはずの場所が一両目だった。この文章で分かるだろうか…そもそも始発からミスが起きていたのだ。そのとき私は少しだけ違和感を感じていた。いつもと一緒の場所に乗ったのに、あれ、ここ一両目?なんか気持ち悪いなーとなんとなく感じていて、一両目に座ったものの、すぐに2両目の端っこ(いつもの場所)に移動した。するとどんなアナウンスかは忘れたけど、すぐに車掌も電車の停止位置に気付いて移動させていた。当たり前だけど、まさかこの後、事故が起きるなんて夢にも思わない。そのままもし一両目に乗っていたら私は死んでいたかもしれない。一番死者が多いのは二両目だった。だけどここに座っていたら…といつも考えるとぞっとする。
二両目に座って私はすぐに友達から借りていたMDをセットして音楽をガンガンにかけて、朝すごく早かったからすぐにウトウトしていた。当時ニルバーナが流行っていた。あと4月25日は友人の誕生日で手作りのクッキーを焼いて入学祝におばあちゃんに買ってもらった大きなバッグの中に忍ばせてとびっきりのオシャレをしてウキウキして電車に乗っていた。待ち合わせ場所に早く着かないかなー?早くお祝いしたいなー!と音楽にノリノリになって心も浮かれていた。すぐに眠りについて、キューブレーキでパっと目が覚めた。伊丹駅だった。周りはざわついていたが、音楽でアナウンスも人の声もあまり聞こえず、眠気がマックスで、あ、まだ伊丹か。と思ってすぐ眠りについた。
次、目が覚めたとき、死体の山だった。ただ、見ても今どういうことが目の前で起きたのか、全く理解できなかった。私はとにかくここから抜け出さなきゃと思って周りを見渡した。私の体は埋もれていて、身動きが取れず、目だけ開けることができて、私の真上にはメガネをかけたサラリーマン風の男性が頭から血を流して顔面血だらけでぐったりしていた。唯一奥の方にいた一人の女性が助けてー!!!!!助けてーーーーーー!!!!!!!と声を出して手を振っているのが見えた。私も声を出さなきゃ。そう思って同じようにとにかく必死に声を出そうとしたが、思うように声が出なくて、でも私はどこにも痛みは感じておらず、動けると思っていた。自分の顔を触って手のひらを見ると、手が血だらけになっていて、その後私は少しの間気絶したのだと思う。眠っているような状態になり、色んな人の顔が浮かんだ。嘘のような話かもしれないけど、本当に天の川があるような情景が広がっていた。出てきた人たちはみんな笑顔でスーっと目の前を通っていった。そして何故だか苦手意識を持っていた友達のお母さんが出てきて、あんた何してんの?起きんかいな!!!と癖の強い大阪弁で私に怒っていたのだ。なんなの。と戸惑いながらも、その声で奇跡的に意識を取り戻した。起きんかい!という声と重なるようにして、もう大丈夫ですよ!という力強い声が何回も何回も遠くに聞こえてきて、夢なのか現実なのか自分でもよく分からない狭間でウロウロしていて、さらに「助けてー!!!」という一人の女性の声で私もハッとして、やっと私も同じように泣きじゃくりながら助けてー!!!ここー!ここです!!!こっち!来て下さい…と必死に叫んでいた。



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