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2023年、3.11に福島で行われたライブに行った

私が応援しているOWV(オウブ)というグループのライブ、「OWV LIVE TOUR 2023 CASINO」が3月11日に福島県のけんしん郡山文化センター・大ホールからスタートした。

OWVとは


3月11日という日の意味はとても大きい。

12年前の2011年3月11日に起きた、東日本大震災。
発生時において日本周辺における観測史上最大の地震(Wikipediaより)だそうだ。

OWVのリーダーである本田康祐くんは福島県出身。
震災当時、中学3年生だった彼はその日卒業式を終え家族で自宅にいるところで震災に遭ったそうだ。

倒れてきそうな家の食器棚を押さえようとしたが危険と判断し、在宅中の家族全員で家から外に逃げたそうだ。

10年前の今日、何をしていましたか? ~ 東日本大震災10年特集 音楽ナタリー編


2年前のこの音楽ナタリーの記事にあるように、震災後高校生になった彼は福島から乗り込んだ新幹線でショックな体験をしている。

高校卒業後に上京してもうすぐ10年目になる本田くんは今でも福島を愛し、東北を愛し、まだ震災の被害による影響が“終わっていない”ことを憂い、どうにか福島を、東北を元気にしたいと願っていることが折に触れて伝わってくる。

かつて出演していたオーディション番組での公約は「福島でダンス教室を開く」だった。
彼がダンスを最初に学んだ地元にいつか恩返しをしたいそうだ。

他にも3.11になるとそっとチャリティーのことについて触れたり、どこかで大きな地震が起きると彼は地震対策についての信頼できそうな記事のリンクをひとつ、そっとSNSに貼ったりしていた。

また一昨年、2021年の11月にOWVとしてはじめて東北でライブを行ったCHASER仙台公演でも彼は東北のことについて触れていた。
(なお正確な文言ではなく当時の私の記憶を頼りに書いているので意訳くらいに思ってください)


「東北の震災から10年経っているけど色々あってまだ元の生活に戻れてない人もいるし、僕もそうなんだけど東北の人は“楽しんじゃいけない” “我慢しなきゃいけない”とどこかでまだ思ってる人もいると思う。
こうして東北でライブをしてみんなが観に来てくれたり、応援広告(※ファンが事務所の許可を得て出す独自の広告)を見に行ってくれたりすることで復興途中の東北の経済がまわる。そうすることで東北が少しでも元気になってくれたらと思う。OWVが東北を盛り上げていきたい」


丁寧に誠実に話す本田くんの姿だけで彼の真摯な想いが伝わるには充分だった。



今回のCASINO福島公演でも「福島の人?」「福島以外から来た人?」という客席への質問は、圧倒的に福島県外から訪れている人が多かった。

応援広告もとても盛り上がっていた。
駅の中、バスのフロントのバナー、街灯にさがる旗、新聞広告、地元の店舗など。

また応援広告とは少し違うがファンがリワード(購入特典のグッズ)を用意して地元の飲食店とコラボする企画なども何店舗かで行われていた。

私も応援広告が掲出されている場所やコラボカフェにいくつか訪れたがどこもファンが多く訪れており、盛り上がりを感じた。

ファンの応援広告以外にもタワーレコードが郡山店独自のイベントをしていたり、近隣のショッピングビルがポスターを貼っていたりとまるで街全体が歓迎してくれているような温かさを感じた。

私は今回人生ではじめて福島に降り立った。
一昨年のCHASER仙台公演に行くまでは東北地方すら足を踏み入れたことがなかった。

いつかは行ってみたい土地だったが、私が住む広島からは遠いためなかなかきっかけがないと実行には移せなかった。

でも推しであるOWVのライブがあると知り、そして本田くんが大切に思っている東北の地ということもあり絶対に行きたいと思った。

私にとっての「きっかけ」は彼らだ。
決して大金は落とせないが、福島の地で交通機関を使い、ホテルに泊まり、飲食し、お土産を買い、ほんの僅かでも何かの一助になっていたらと願う。

私ひとりでは本当に微々たるものだが、今回コラボカフェをしているお店やタワレコ以外にも、たとえば本田くんが学生時代に買い物をしていたお店、遊びに行っていた施設などいくつかの“ゆかりの地”があり、そこにもたくさんのファンの姿があった。

OWVのメンバーである浦野秀太くん(神奈川県出身)も、CASINO福島公演(2部)の挨拶で「いつもは福島の外から応援しているけど、こうやって福島に来て、福島の中から応援できてよかった」と語っていた。


かつて福島で被災し、復興を願っているグループのメンバーのことを常にそばで見ているからこそ、皆同じように強い思いを持ち続けていたのだろう。

また、経済だけではなくこの地に来ること自体で私は新たな体験を得て、何かを学ぶことができるかもしれない。

話は飛ぶが、私は広島生まれ広島育ちなので子供のころから平和学習に熱心な土地柄で育った。
毎年夏休みの8月6日は必ず登校日で、いつもより早く登校して教室で平和記念式典の中継を見ながら8時15分に黙祷をする。
平和について学習する時間があったり、被爆者の方のお話を聞いたり、8月6日になると地元のテレビ局は終日戦争関連のものばかりだった。(今はそういう番組はかなり減ったが)

遠足は必ずと言っていいほど1度は平和公園の原爆資料館に訪れるし、教室には大抵「はだしのゲン」が置いてあった。
中学の修学旅行は同じ被爆地である長崎だったし、幼いころに祖母に連れられてジリジリと真夏の日差しが射す平和公園で平和記念式典(平和祈念式)に参列したこともある。

だから何だ、というわけでもないのだが今でもそういう経験の記憶が心の片隅にある。
常に意識のどこかにあるのだ。

3.11という日に東日本大震災の被災地である福島県でライブをすることに対していろんな考えや思いがあるだろうとは推測する。

静かに悼むべきだ、そうしたいと思う方もいらっしゃるだろうし、実際に被災されて大変な思いをされている方の悲しみや苦しみを離れた土地に暮らす私がどれだけ理解し寄り添えるのかと言われたら正直分からない。

きっとOWV側もこの日に福島という地でライブを行うことについて悩んだのではないかと勝手な想像だが思う。

ただ、3.11という日に福島の地に訪れたファンにとってこの日は絶対に忘れることのできない日になったはずだ。

3.11の日に福島を訪れたこと、ライブ前(昼の部公演)に1分間の黙祷を捧げたこと、本田くんがMCで言葉を詰まらせながら震災について触れ、「この場所でライブができることを福島県民として誇りに思う」と語っていたこと。きっと折に触れて私たちは思い出す。

きっかけは些細なことでも関わりを持つことから興味がわき、興味を持つことで何かを知ったり学んだりする。
そこからまた様々なことに思考を伸ばすことで災害や復興や対策や犠牲になられた方々や今も被害に苦しんでいる方たちへと思いを馳せる。
自分はどう感じ、何をしていくのが良いのか。
そうやって日常の中に、心の片隅に、ずっと「在り続ける」ことが大切なのではないかと私は思う。


3.11ライブ当日の朝、郡山のホテルのテレビでNHKを見ていた。
全国の番組でも東北ローカルの番組でも震災のことに触れていた。
その後、「ドキュメント72時間」という番組の再放送をしていた。
2022年に放送されたその番組は宮城にあるお花屋さんで72時間訪れる人たちを取材し続けていた。
3月の仙台ということもあり、震災で亡くなられた方のご家族がお花を求めに来られていることが多かった。

そんな中、岐阜から献花のために買いに来ていた男性は自分の応援しているアーティストが宮城出身で震災後観光大使を務めていたことで興味を持ち、そこから毎年献花に訪れ、宮城で教師として就職することが決まったというお話だった。

きっとこの方も推しを通じて、宮城や3.11のことが常に心に“在り続けるもの”になったのだなと思った。

大きな力にはなれなくとも忘れずにい続けることが、心のどこかで考え続けることが、やがて結晶して自分を形成し、行動となり、良い未来へと繋がるのではないだろうか。

たとえば、かつて高校生のときに福島から乗り込んだ新幹線で本田くんが経験したことのように、謂れのないことで傷付いてきた人たちがたくさんいるはずだ。

私たちが考え続けることで、学び、意識や行動を変え、そういう人を減らすこともできるはずだ。

そういう意味でも、3月11日という日に福島に居たことでこうして考える時間を与えてくれ意義があると思った。



最後にはなりますが、東日本大震災で犠牲になられた方々へ哀悼の意を表し謹んでご冥福をお祈りします。また被害に遭われた皆様へお見舞い申し上げます。
一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



OWV本田康祐さん「今の福島伝えたい」 3月11日郡山で初ライブ:震災12年ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet


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