「JK、インドで常識ぶっ壊される」を読んで


「JK」「インド」がパワーワードすぎて、この本が発売された当初からインスタや本屋さんを通して知っていた作品。頭の中になんとなく読みたいなぁと残り続けており、ようやく読みました。

インドと聞いたら何を思い浮かべますか?私は正直なところ、カレーやターバン、タージマハルぐらいしか知らずという状態でこの本を読み始めました。それはこの作者も同じで、インドに飛び立つ前は「アメリカやヨーロッパであれば友達に自慢できるのに、なんでインドなんだ・・・。」ともどかしく感じている様子が描かれていました。確かに友人と話をする中でインドに行ったという話を聞くことはないし、インスタグラムでもインド旅行の投稿をしている人を見かけたことは一度もありません。大抵が欧州や南国リゾート系の国ばかり。人口の多さは中国に続いて世界第二位だけど、そんなに発展しているイメージはないなと。私もインドで暮らさなければいけないと聞かされたら、安全に暮らせるのかかしら、と不安になると思いました。

しかしそんな不安を持ちながらも、またインドの暮らしに圧倒されながらも、作者はインドでの暮らしからたくさんの気づきを得るという点で素晴らしいのがこの作品です。この作品を通して私が感じたことは大きく2つです。1つ目は日々の体験から素直に気づきを得ることの大切さです。作者はインドで関わる人々との会話や自分の身の回りの状況から素直にさまざまな気づきを得て成長していきます。なんでもない日常の中にもたくさんの新たな発見、気づきってあるんだよなというのを改めて気づかせてくるし、私ももっともっと感じ考えて生きていきたいと思わされました。2つ目は自ら人との関わりを持つことの大切さです。作者は自らの意思でインドに行ったわけではないけれども、せっかく行くならと自らサークルや街歩き等の企画に参加し、人との出会いを求めて行動します。その行動があったからこそ得られたたくさんの経験から成長していく様を見て、社会人になってからフットワークの重い自分にグサグサと刺さりました。

以下は私が特に印象に残った一部の抜粋です。



●分数なんていう、当たり前のように思える概念。だが、私がそれを「当たり前」と呼べるのは、学んだからだ。常識は、常識なのではなくて、常識と呼べる環境にいてこそ、さらに周りも共通してそんな泡の中にいて初めて成り立つのだ。

→これは作者が家の使用人が3分の1という概念が理解できない様子を目の当たりにして得た気づきです。階級のあるインドでは使用人は身分の低い人が多く、教育を十分に受けれないまま働きに出て、大人になっている人も多い。この場面を読んで、世界にはそんな人たちもまだこの時代にいるんだ、という驚きがありました。また自分の日常という視点で見ると、仕事をしているとなんでこの人はこんなこともわからないのか等、自分の中で当たり前と感じることができていない人を見てイライラすることもあります。しかし幼い頃からの家庭での教えや、今までの職場等でそれを習って身についているからこそ、私としては当たり前なのであって、それが他の人にとっても当たり前ではないのだということを考えさせられました。自分の当たり前を当然のことのように押し付けてはいけないですね。

●(カーストの下位から)這い上がれることを期待してモハン(使用人)は娘さんを大学に行かせるんだろう。そして娘さんも、自分だけでなく家族のためとも思って大学に行くのだろう。ーーすごく切実だ。じゃあ私は?私は今、なんのために学校に行ってるんだろう。数年後、なんのために、誰のために、大学に行くんだろう。

→多くの人が当然のこととして大学まで通う日本だからこそ、なんのためにこの選択をするのか?と考えを深めることがなくなってしまうと感じました。自分で納得するまで悩んで進路を決めることは、実際に進んだ後の人生の充実度に直結することであるような気がします。私はすでに社会人として働いており、学生生活は終わってしまっていますが、今一度今後何をしたいのか、なんのために生きていきたいのか、そのために何をする必要があるのか、考え直す機会にしたいと思いました。


軽い読み口だけど、自分の生き方について考え直すきっかけを与えてくれる本。これを女子高生が体験し、執筆したなんてやっぱり凄い。ぜひ気になったら気軽に手にとってみてほしいです。





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