名取熊野信仰講和会の記録②
名取老女伝承に語られる守家の談話より(一部です)
10月1日に行われた能「名取ノ老女」
予算の都合上、800人分しか用意できなかったが、実際は、1000人くらい集まって良かったと安堵しています。
山伏が神様の前で眠るシーン。
梛の葉が置いてあった。
小さな葉なんですね。
例えば、一文字かくと20枚以上かかる。
梛の葉に一枚、一枚書くのは大変だったろう・・・
「みちとおし~」
全部で、
五、七、五、七、七=三十一音。
金春流も協力してやってくれました。
能という日本のオペラの中に名取老女の謡曲が入っている。
財団(国立能楽堂)が管理している能なので、
保管されていることに価値があります。
【わらじを作っていた名取老女】
「名取老女の家は、わらじを作っていた家でした。
山伏が宿を貸りたお礼に、お札を頂く。
そこに祀れば願いは叶うだろうと言い残す。
足腰が立たない人だった為、
熊野神に願いを叶えてくれるならと、
一日一足、わらじを奉納する願いをたてた。
熊野神の分のわらじだからといって、
奉納していたわらじを道行く人にあげていた。
いつの間にか、だんだん足腰など
病気が良くなっていく噂がたつ。
いつしか、「名取の巫女」と言われるようになった。
名取老女もよくなったので、紀州に行くことになる。
戻ってくると、ますます願い事が叶うようになった。
それから毎年、紀州にお参りしたというが。
毎年行けるほどの距離と時間はあったのだろうか?
2、3カ月はかかったろう。」
守家の言い伝えでは、わらじを編んでいる老女の宿に山伏が宿泊し、お礼に熊野神のお札を置いていったことがきっかけで、熊野信仰が広まったと伝わります。
2018年5月13日:名取熊野那智神社での記録より
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