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朝日神子に共通する英雄伝承

アサヒの神子伝説は、出羽・陸奥に多く伝わっていますが、特徴が歴史上の人物と関連づけられた話が多いこと。

神子の由来の中に登場する地名について、気になっている所が仙台にあります。

「梓神子の由来」(盲僧と盲巫の始祖伝承:石井正己著)より
朝日(そうし)和歌神子について、
「文禄3年7月10日高清水の丸田沢という所に和歌神子大神宮として現れた」とされ、朝日は千手観音の化身、仮に比久太郎の娘と出羽奥州の女の盲人を救った。

朝日は盲人となったが、諸神諸仏に祈って渡世のことを願い湯殿山・月山八幡宮の神力で、行者となり、和歌神子と名乗った。

これを藤原秀衡殿に言うと、頼朝公に話し、来世に至るまで何国でも盲人は朝日和歌神子と名乗り口寄せ、祈祷を勤めてよいという国主秀衡殿の印紙を戴いた。」

朝日神子の伝承に、共通するのは、

藤原秀衡
源義経
源頼朝

の3人が多く関連づけられて登場することです。

しかし、「丸田沢」という地名について、高清水では見当たらなかったのですが、奥州藤原氏の伝説が伝わる丸田沢は、仙台にありました。

水の森

仙台市内にある「水の森」は、豊かな森が広がる憩いの場。
散策コースとしても多くの人が利用されている所。

三共堤

ここには、義経と金売吉次が平泉を目指した秀衡街道と呼ばれた
古道であったと伝わります。

金売吉次は、山形県では、「藤太」というあこや姫の夫伝説になった
炭焼き藤太になっており、

この場合の金売吉次を、藤原秀郷(俵藤太)にすることで、奥州藤原氏の祖であることを伝えるために、「あこや姫」の巫女と結びつけているわけです。

そのあこや姫がいたとされる万松寺へ行ったのは、藤原実方であるため。
実方も秀郷流の藤原北家の出。

水の森の西の丸田沢堤がある地区は、大阪城落のとき、この地に落ちのびてきた高梨左兵衛、右兵衛兄弟が開拓を願い出、兄が丸田沢堤を造ったと言われています。

人物の詳細はわからないが、「丸」としている理由とは?

源義経と蝉

源義経の伝承は、東北地方にとても多いです。

山形県「瀬見温泉」は、義経と弁慶の伝説の温泉地。

義経大橋

瀬見は「蝉」からとった説があり、「蝉王丸」という弁慶愛用の刀があります。

産湯

義経の妻が瀬見温泉で出産したという伝説があり、その時にお産婆さんになっているのが、弁慶だったと伝えています。(義経についた神子がいた証では?)

弁慶の腰掛松

また、東京に王子神社があり、熊野の王子神のことと言われ
境内に末社としてある関神社は、蝉丸公を祀り、琵琶の名手、芸能の祖神とされているのです。

和歌山県熊野古道にある多富気王子跡

つまり、「蝉」と「丸」という名は、琵琶の名手をもつ芸能を通して、後のゴゼ(瞽女)や口寄せに伝わったものとみられ、
西洋の叙事詩のように、歴史上の人物を英雄伝説として伝えることを習わしとしてきた神子(巫女)から、奥州藤原氏や義経などが結びつけられたのです。また、それが主に陸奥国に広まっているのは、主に熊野信者だったからでしょう。

瞽女

では、その「丸」とは何を指しているのか?

その水の森と奥州合戦が関連する言い伝えがあります。

仙台市上杉にある朝日神社は、朝日神子を祀り、寛文年間に当社付近の田畑の開墾水利を行い田川、梅田川を開き耕作の開拓を行ったと言われるものです。

この朝日神社にも源頼朝の伝承がありました。

藤原泰衡(奥州藤原氏四代目)が現台原丘陵に退き防衛の陣を張り
頼朝の軍勢は二本杉の辺りに進み丁度この社に詣でた際、
折しも朝日が昇ってくるのを見た事に当社の名を残したと言われる。

※中山物見ヶ岡=台原丘陵

その場所が水の森と考えられ、泰衡が逃れたと伝えているもの。

『仙台市史』には、
七北田川南岸 上谷刈、「丸子」の地名があったのです。
丸子「わにこ」と呼びます。

この丸子が熊野にあるため、朝日神子が熊野信者であるから「丸」と繋がるわけです。

「熊野権現縁起」より

第五代孝昭天皇のとき、紀伊国(和歌山)の山奥、千尾の峯に、神人が龍に乗って御姿を現した。

人々があがめ奉るなかに一人の男が進み出て十二本の榎のもとに神を勧請した。神は、男に「榎本」の姓を賜わった。
その弟は、まるい餅をつくって神に捧げた。
神は感じて餅にゆかりの「丸子」(わにこ:後の宇井、鵜居)の姓を与えた。第三の弟は、稲の穂を奉納した。神は「稲積」の姓を授けた。

この三人の祖は、漢の国からはるばる日本にやってきた「司符将軍」の末裔だという。男を真俊、次男を基成、三男を基行という」

1,丸い餅→秦氏の伝説に語られること(餅が白い鳥になり飛び去った)

2,丸子→和邇(王仁の系譜)

3,穂積氏→ニギハヤヒを祖とする藤白鈴木家
※藤原北家の家紋と同じ穂積氏(大阪:石切)

石切神社の神紋

といったように、熊野信仰に「丸」のキーワードがあるのは、丸子という氏族に関係していそう。

藤原秀衡も熊野へ詣でた伝説があり、その巡礼中に子が生まれ狼に育てられた伝説をもちます。

朝日神子が奥州藤原氏と関連付けられる理由のひとつに、丸子があったことは興味深い。なぜなら、秦氏が藤原に名を変えた祖が、藤原秀郷であるといった説があるからです。(波多野氏など)

ちなみに、泉区には加茂神社がありますが、瞽女の縁起に、加茂明神が現れています。

泉区の加茂神社は、塩釜神社から移された(元は塩釜にあった)話があり、
丸子がいたからでしょうか?

東北に残したアサヒの謎が、深い。。。

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