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ガイド業は表現者 区切りのない自然の中で何を伝えるか

がってんの門をたたいた辻さん

今井 愛媛県今治市のしまなみ野外学校で野外教育活動をされている木名瀬裕さん(がってんさん)と、北海道の天塩川でカヌーガイドをされている辻亮多さんにお越しいただいただきました。前回、辻さんから、ガイドの領域では自分は冒険はせずにゲストのために動く、つまり人のために必ず動くということを大切にしていて、そこから出ないというお話をいただきました。一方で、休みの日などに自分の冒険も大切にされてると伺いました。この話、がってんさんはどう受け止めましたか。

がってん 亮多もそうなんだけども、あまりインドア、アウトドアを分けてないというかね。普段の暮らしから、例えば朝起きて外を見る時に、この後どう展開していくのか日常の中で感覚として染み付いているんです。そこであえて冒険をしに行くことももちろんあるし。「なんか、行きたくなっちゃうんですよ」っていうのが正解なのかもしれないですね。

村上 ちょっと別の話題ですが、初めて辻さんががってんに出会った時は、どういうきっかけで出会ったんですか。

辻 がってんはそのころ釧路川の河畔でガイドハウスをやっていて、がってんをリーダーにたくさんガイドがいたわけなんです。そのガイドの一人が偶然僕の大学の先輩で、ふらりとうちの大学に来た時に、「興味があるような学生はいないか」みたいな話になった時に、辻ってやつがいるから呼んでこい、みたいな感じになって。それがきっかけでがってんのところのガイド会社、まあ会社っぽくはなかったんですけども、そこに入ったんです。その前段で、僕はあるときテレビで、がってんの家族がカヌーのガイドをしながら釧路川のそばで暮らしているテレビ番組を偶然見たんです。それを見て日本でガイドという暮らし方があるんだというのにびっくりして、それで「よし行こう」と思って、行ったんです。初めて会ったときから変わった人だなーと思いました。僕は社会に出たことがなかったのですが、そんな僕でもこの人が普通の社長ではないことは分かるというか(笑)。初めて会ったとき、「どかーんと行けば大丈夫」とだけ言われた気がします。

村上 がってんからしたら、当時はどういったご自身のフェーズで、どういう時期だったんですか。

がってん 僕と亮多は何歳離れてるんだ?

辻 39になります、今年。23で出会ったんですけど。

がってん 当時、僕は30半ばぐらいでした。ちょうど一番何をやっても体力的にもあったし、気持ち的にも全然あった。その時にどんどんガイド業という世界で、次の世代がこれで生きていく楽しさを広げていってくれることを望んでいた時期だったですね。
だからかもしれないけども、僕は「自然を案内してます」とか「私は自然のことよく知ってます」とか、そういうことではなくて、自らが苦悩して欲しかった。亮多もよく知っているけど、僕はあまり教えないんですよ。ただただともに、できれば誰よりもたくさんフィールドに立ってたいと思っていたし、暮らしそのものが川の横だったから、朝起きたら現場みたいなところだったので、そういった表現はずっと感じてくれたらみんなもそうなっていくんじゃないかなって強く信じてました。

辻 がってんの会社に入って、一番最初の仕事はブタのうんちを掃除すること、笹のお茶を作ること、あとは鳥の卵を朝取りに行くこと、草刈りをすること、それが僕の初めての社会人一番最初の仕事でした。


がってん ブタを追うのは亮多より犬の方が上手だったよな!

今井  二人のお話を伺ってるとガイドってお客さんをフィールドに案内する仕事かと思っていたんですけれども、ガイドのやってること全体を見ると、本当に暮らし全体なんだなぁと思いました。普段はどういった暮らしをされてるんですか。

がってん 普通なんですけどね。亮多、あれは普通っていうのかな。

辻 笑、あの頃は僕もそれが普通だと思っていましたけどね。釧路川河畔のがってんが暮らしてたガイドハウスに僕も一緒になって暮らしてたんですけども、5月になったらガイドハウスの周りでオオジシギという鳥だとか、センダイムシクイとか、エゾセンニュウっていう鳥が鳴くんですけど、なんかその鳥が鳴いてる感じとか、風の感じとか、僕は徳島が実家なんですけどなんかもう一つの原風景として、がってんの家族の暮らしみたいなのが、残っているような気がします。

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ガイドは自然の表現者

村上  暮らしていく中で、ガイドにはお客さんという存在が出てくると思うんですが、最初は辻さんはお客さんの前には出なかったんですか。それとも結構早い段階から出たんですか。

辻 フィールドに出るのはやっぱりある一定の技術がついてからじゃないとガイドはできないですけども、可能な範囲では行かせてもらっていたと思います。

村上 がってんはその辺りはどうなんですか。来るなら来いという感じなのか、それともある程度ここくらいは超えてくれないとというものがあるんですか。

がってん 一つの自然の中にカヌーを使って、水の上に人と一緒に出るということにも様々なバリエーションがあって 、そのどのジャンルでも、まず自分で自分の身を守れる状況であればついてくるのは良しでした。ただゲストをガイドしていくとか、例えば大きなボートみたいなものを操作していくとか、そういったことは技術的なことにが必要なので、ついてくることはできても、ガイドするにはプログラム上の技術が追いついてないと、なかなかやっぱり難しいですよね。やっぱり大きなカヌーやボートでも、やっぱりミリ単位で動かす乗り物なので、全体の感覚が必要です。前を見ていても後ろのカヌーの舳先が今どの枝を僅差でかわしてるのか、振り返ることもなく肌で分かるようになるというように、難易度はどんどん上がってくんですけど、まずはそこまでおいで、というような感じですね。

村上 辻さんがファミリーの中に入ってきた時にどんな印象を持たれたのか、またどういうところを注目して見ていたのですか?

がってん 亮多はね、すごくいい田舎者なんですよ。そこだけは捨てちゃいけないよって思ってましたね。それが一番自分を伸ばすんじゃないかなと思ってたので。たくさんのガイドさんがいてくれたけども、一人一人個性が違って。亮多は本当に純粋に行ったらと思ってましたね、今でも。

村上 どうです?

辻 本当に徳島の田舎育ちで、水と山と海と川とで、その頃いいなと思った世界観そのままにやれている幸せは感じるところがあります。あと、いま話を聞きながら思い出したことは、ガイド業に関しては文化芸術など、表現することに積極的にいっぱい触れろと、いい映画を見ろ、いい音楽を聴け、そういうことを言われたなって今思い出してきました。
その頃とにかくがってんは自分がやりたいガイドのスタイルをかなり早い段階からつくれと言っていたような気がします。何も教えてくれることはなかったですけども、とにかく「お前はどうしたいんだ」「お前はどういうガイドになりたいんだ」っていうことは、もうしょっちゅう聞かれてた気がします。

村上 それは今度はがってんに聞きたいんですけど、 そういうことを常々いろんなスタッフの皆さんに言ってたのは何か思うところがあったんですか。

がってん ある種、ガイド業は表現者でもあるなと思っていて、表現者たるもの、画用紙を見て何かを描きたい、その何かというのは、やっぱり自分で決めるしかないので。筆は取ったけど、自分で墨をすってその画用紙に一文字でも書いてみろということはすごくいつも心の中にありました。さっきの文化芸術の話では、同じ風景の中にゲストをお連れする形だけども、ガイドの佇まいであったり、どういうスタンス、どういう表情、どういう空気感でその事柄を見せるのかによって、ゲストの取り方は変わってきます。そういう意味では、強く自分の道を決めるのは早い方がいいと思います。自分がどういう表現をしたいか、寝ても覚めても考えていていいことだと思います。自然というものは、朝に日が昇って日が暮れて、また朝に日が昇るっていう区切りがないものなので、区切りがないぐらい、もう脳みそ出ちゃうんじゃないかってぐらい考えてもいいことだと僕は思っていたんです。この習慣があれば、天候の変化を敏感に感じられるし、その習慣を得られないようであればその習慣がなくてもできる表現の方法で行くしかないし。亮多の場合は、四六時中やっていられる習慣の方に入っていたので、よりハードな、例えば長い日数の旅に出るとか、熊にぐるり囲まれるような浜でゲストを連れて泊まるとか、それが本当に自然なんだよっていうことを早い段階で気がついたかもしれないですね。

(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 辻亮多)

次回のおしらせ

愛媛県今治市の野外自然学校で野外教育活動をする木名瀬裕さんと、その弟子で北海道美深町でアウトドアガイドをされている辻亮多さんに、ガイド業を通じて伝えたいことを聞きます。お楽しみに!

The best is yet to be!

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