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スポコンの再来が日本を復活へ導くhypothesis

戦後教育、GHQが作った戦後メディア、昨今ではSDGs教育やLGBT法案などによる秩序破壊教育。
次世代すなわち子供たちには、私たちの目の前で共産化や個人主義、今だけ金だけ自分だけの洗脳が堂々と繰り広げられている中、参政党は教育を政策の一丁目一番地に据え、これらと真っ向から対峙しようとしている。
その参政党に対する援護射撃はなかなか見当たらない。大手メディアがど左翼化する中、保守言論が増勢を示していたネットメディアでさえも参政党を華麗にスルー。
しかしその援護射撃は思わぬところから放たれた。
そしてそれは超強力な援護射撃と言っていい。
これを生かせるかどうかは参政党次第だ。


実はアニメの世界もポリコレ化していた。アニメの潮流。

もはや虐待

巨人の星・アタックナンバーワン・エースを狙え・明日のジョー

スポ根(スポコン)という言葉を知っているだろうか?4大スポコンアニメと言えば、巨人の星、エースを狙え、アタックナンバーワン、明日のジョーである。スポーツと根性を掛け合わせた言葉で、「根性」が重要なピースとなる。時代背景としては1960~1970年代で高度経済成長の真っただ中だった。(頑張れば報われる・明日はもっと良くなる時代)
※巨人の星、週刊少年マガジン/1966年~1971年。新巨人の星/週刊読売、1976年~1979年。


プチコラム
くしくもスポコンアニメ(漫画)が消えていく1980年代からプラザ合意、国際決済銀行によるBIS規制、日の丸半導体つぶしの日米半導体協定など、外圧に押されて経済が衰退していく時代。

スポコン漫画の復活が日本経済の復活を促す?ということかもしれないね。


どこにでもいる家族

4大スポコンアニメの主人公は全て等身大の若者で一般家庭、もしくは貧困家庭の出だ。
読者・視聴者にとって自分をシンクロさせやすい。主人公を通して追体験したアニメ・漫画の世界がリアリティ・臨場感が高く、それはすなわちアニメ・漫画の世界を自身の現実社会にトレースしやすい。具象的なのだ。(これが時代を経てだんだん抽象化していくことになる)そしてスポコンはあらゆるハラスメント表現を容認。理不尽のオンパレードだ。どんな理不尽にも根性で突き進む。
実際ポリコレが進む現代であっても、社会に出れば理不尽だらけ。より良い人生を送りたければいかに理不尽を乗り越えられるスキルも必要なスキルの一つだ。共同体の中から質の高いイノベーションが数多く生まれる為には、その共同体に「スポコン」を注入すればいい。

キン肉マン・ドラゴンボール


テリーマンとアシュラマン

次の世代、1980年代の代表的な漫画がキン肉マン(1979~1987)そしてドラゴンボール(1984~1995)だ。主人公はともに宇宙人ということになる。生まれた時から超人で、(キン肉マン=キンニク星王子・正義超人/悟空=サイヤ人)悟空は初回から銃でブルマに撃たれるが、外傷は全くない。ただ、ドラゴンボールに関しては修行のシーンが描かれるなど、努力して強くなる過程も描かれている(臨場感はやや低い)。


ワンピース

腕が伸びる

ワンピースは1997年に連載開始し今現在も連載は進行中。主人公はゴムゴムの木の実を食べ、ゴム人間になった。体がゴムのように自由自在に伸び縮みする特殊能力の持ち主。登場人物は特別な木の実を食べそれぞれ固有の特殊能力をもち敵と戦う。スポコン漫画からだいぶ距離が離れ抽象化が進んでいるのがわかる。海賊になって世界を旅し、特殊能力をもった敵と戦いながら海賊王になろうとする。空想的で夢想的になってきた。

ポケモン

多様性

ポケモンの原案は1996年に発売されたゲームボーイ用RPG「ポケットモンスター赤・緑」その後1997年から2023の間、テレビ東京でアニメとして放送された。
主人公は少年だが、バトルの主戦場に立つのはコレクトしたモンスター。主人公は直接戦わない。主人公を通して痛みを感じることはまずないだろう。多種のモンスターを集めて、モンスターには属性があって、、、痛みよりも多様性がベースにある。
抽象化されすぎていて現実社会とは別物である。リアルな「痛み苦しみ」がなかなか感じにくくなってきた。

ポケモンが悪いというわけではなく、時代の流れが反映されてきたアニメの潮流に感じられるのだ。

君たち(日本人)は頑張るな

経済を外圧に壊され、競争を排除し、希望を持たせず、小さなπをみんなで分け与えればいい、そんな社会に型をはめられた日本。それではシュリンクしていくだけだ。後進国に落ちぶれた日本は、それで留まらない。その後海外からの企業買収、土地買収、政治搾取、などが進み、移民も増加し、さらに苦しい状況が待っている。
明日に希望をもって、ひとつずつ自分の限界を突破していくことでいつの間にか私たちはより良い物を得られるようになる。守れるようになる。
それをさせないのが大手メディアによる洗脳である。


成田雄介の想像力のない・策を持たない小手先の、もっともらしいだけの空っぽの発言を垂れ流すのがTVなのだ。
働き方改革での働かせないという政治的バイアスも効いてくる。しかしそれがあるべき社会なのだと洗脳されているのが、特に次世代・今の子供たちなのだ。
日本人の巻き返しには「明日への希望」を持たせるところから始めなければならない。「まさに諦めたらそこで終わり」であり、人間社会では実はこれは心理を突いている。個人主義をベースで考えるとあまり意味のないように思えてくる心理だが、これが共同体全体に広がると、どこからともなくイノベーションや起死回生のアイディアが生まれてくる土壌を作り上げることにつながるのだ。

日本はどう突破するか

日本に明日への希望を持たせるために孤軍奮闘しているのが参政党であるが、その突破口となる一つが教育であり、それを邪魔するのが大手メディアの洗脳である。
危機的なのは教育現場での戦後教育、歴史教育、昨今のSDGs教育、LGBT法案に伴う秩序破壊教育だ。子供たちは洗脳され続けている。
参政党がどんな訴えをしても次世代には響かないよう洗脳され続けているのだ。
日本が反撃するカギとなるのが次世代の意識改革だがその意識改革の防波堤になってしまっているのが大手メディアと教育による洗脳だ。
その個人主義バイアスや共産主義的洗脳教育に対して、一撃を加えているのが「鬼滅の刃」(2016年~2020年連載。現在TV放送中)である。

これは参政党の援護射撃と言っていい。
ポリコレへの潮流を鬼滅の刃が一気に引っ繰り返した。
反国家(反共同体・反大和民族観)教育や個人主義バイアスが一辺倒に頭に入れられた頭に参政党の訴えを流し込んでも、それは響かない。しかし、鬼滅の刃の思想が今の子供たち(次世代)には力強く注ぎ込まれた。これを想起させる訴えをできれば、参政党に対するネガティブなバイアスは薄まり、日本人が日本人の誇りをもち、そして明日に希望をもって、山積みの課題に立ち向かっていく勇気を持った次世代を育てられるのではないか?と仮説が立てられる。

鬼滅の刃は鬼との闘いをただ描くだけではなく、修行するシーンもふんだんに描かれる。

丹次郎は修行として岩を斬る。ひたすら斬り続けるだけの日々を1年続けるのだ。
これはまさに、スポコン精神ではないか?(高度経済成長の再来か?!)

丹次郎に教えることはもうない。岩を斬れ。
ひたすら岩を斬る修行を一年続ける。
常に痛みを伴う描写

次世代と参政党を結ぶのは「鬼滅の刃」

スポ根からバト根へ
高度経済成長時代はスポ根漫画がその世代を担った。
そして外圧によって経済は破壊され、唯物論とそこから生まれる個人主義(の象徴、鬼舞辻無惨)洗脳が進む現代。
鬼滅の刃が広い世代に強力な影響を与えている。
バトルと根性を掛け合わせたバト根漫画・アニメだ。無機質で臨場感の薄いポケモン(アニメとしてディスってるわけではない)から一気に痛みや苦しみを臨場感をもって描いたバトル根性アニメなのだ。

反グローバルで愛国的な主義は極右と表現されてしまう時代。個人主義(鬼)へのバイアスが著しい時代。仲間と協力して個人主義や共産主義(鬼)に打ち勝たなければならない。

東京都知事選でへこんでる場合じゃない。


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