報道機関と一般人の取材の自由

刑訴法上の証言拒絶権と新聞記者の取材源の秘匿との関係が問題になった事案で憲法21条について述べた最高裁判所大法廷判決  昭和27年8月6日 昭和25(あ)2505では以下判示。

憲法の右規定は一般人に対し平等に表現の自由を保障したものであつて、
新聞記者に特種の保障を与えたものではない

テレビ局の録画フィルムに対する刑訴法99条の提出命令が問題となった最高裁判所大法廷決定 昭和44年11月26日 昭和44(し)68(博多駅事件)を参照した最高裁判所決定 昭和53年5月31日 昭和51(あ)1581では、以下のように判示。

報道機関の国政に関する報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、いわゆる国民の知る権利に奉仕す
るもの
であるから、報道の自由は、憲法二一条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものであり、また、このような報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由もまた、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない

「報道機関の」という枕詞が付いているのが判例。

さて、例えば一般人が撮影した映像報道機関が撮影した映像に対する刑訴法99条3項の提出命令の可否については判断の枠組みに違いがあるのだろうか?

「取材の自由」は報道機関にのみ認められ、一般人には認められないのか?

少し次元が異なる話だが、取材結果が「報道」目的以外で使われると、取材への影響があると判例(博多駅事件)も考えている。

報道機関がその取材活動によつて得たフイルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであつて、このような目的をもつて取材されたフイルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない

じゃあこれは一般人も関係が無いか?というと、お仕事としてやってるわけではないので「将来における取材活動の自由を妨げる」ということが観念できない。単発の行為なので。

「業として」取材活動をしているかどうか、という点は、このあたりに影響してくるだろう。報道機関に属さない者でもそれで収益を得ている者がおり、それが「業として」と評価されるかどうか。

報道機関はそれでおまんま食ってるわけです。
従業員を食わせてる。

将来の取材が制約されることの不利益は、報道機関の方が大きい。

営業の自由】への影響の違いが背後にあると思われる。

だから、報道を業としていない単なる一般人が撮影した像への提出命令の場合には、報道機関に対するものと比べれば、すんなり認められるということになるはず。

そのような意味で、報道を業としている者とそうではない者とでは、やはり違いが出てくると思われる。

ただ、「取材の自由」の享有主体性は、一般人も変わらないだろう

だから、以下の事案で記者と名乗っていようがいまいが、関係無い。

他方で、事実を調べるのではなく、事件を作り出す迷惑系YouTuberの行為は排除されると思う。

一般人との比較ではなく、「報道機関」(=新聞社や取材活動をしている雑誌出版社(文春など)が考えられる)とフリージャーナリストはどうなってくるの?という話はどうなるかは、めんどくさいからとりあえず放置。

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