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自治労の学術会議問題まとめに見る誘導の手法

立憲民主党の支持母体である自治労において、以下報告書があります。

2020.10.16 研究と報告140 日本学術会議会員任命拒否の問題点    晴山一穂(専修大学・福島大学名誉教授・地方自治問題研究機構運営委員)

ここに書いてあること・書かれていないことが何なのかを見ると、「向こう側」にとって都合の悪い事実・認識が見えてきます。

学術会議の設立趣旨には「侵略戦争の反省」がある?

晴山氏によるこの報告書では戦前の滝川事件などを引いて「以上の背景のもとで、1949 年、日本学術会議法(以下、学術会議法または単に法ともいいます)によって設立されたのが日本学術会議にほかなりません」と書いています。

ここで「背景のもと」と書いていることに注意です。

目的」や「設立趣旨」とは書いていない。

学術会議がそのような目的をもって設立されたことの根拠は全く記述されていないのです。

内閣立法の日本学術会議法の提案理由についての議事録を見てみましょう。

昭和23年6月15日参議院 文教委員会
○國務大臣(森戸辰男君) 日本学術会議法案について提案理由を御説明申上げます。
 本法案の規定いたしまする日本学術会議は、内閣の所轄に属することが予定されておるのでありますけれども、設立の準備事務を文部省に委託されましたので、その関係から私が御説明をすることになつておるのであります。 さて、敗戰後の我が國が貧困な資源、荒廃して産業施設等の悪條件を克服して、文化國家として再建すると共に、世界平和に貢献し得るためには、是非とも科学の力によらなければならないことは申すまでもございません。従來我が國の学界を顧みますと、個々の研究においては優れた成果が必ずしも少いとは言い得ないに拘わらず、その有機的、統一的な発達が十分でなく、全科学者が一致協力して現下の危機を救い、更に科学永遠の進歩に寄與し得るような体制を欠いていたことは、科学者みずからによつて指摘せられていたところであります。ここにおいて我が國從來の学術体制に再檢討を加え、全國科学者の緊密な連絡協力によつて、科学の振興発達を図り、行政、産業及び國民生活に科学を反映滲透させる新組織を確立することが、科学振興の基本的な前提となるであります。言い換えれば、科学者の総意の下に、我が國科学者の代表機関として、このような組織が確立されて、初めて科学による我が國の再建と、科学による世界文化への寄與とが期し得られるのであります。この法案制定の理由は、右のような役割を果し得る新組織、即ち科学者みずからの自主的團体たる日本学術会議を設立するにあるのであります。

元々は国家戦略として各学者の横のつながりを作って彼らが持っている科学技術を国家の発展•国民生活の向上に寄与させるために活用するためのもの、というのが設立趣旨です。

他の方面からも見ていきます。

福島要一著作に見る学術会議の発足経緯

11期・33年間も日本学術会議会員だった福島要一氏が、学術会議の「歴史」について回顧した著作【「学者の森」の四十年】では、学術会議を設立するきっかけとなった「学術体制刷新委員会」の設立については、GHQの関与・協力、特にケリー博士の取り計らいによってなされたと書かれています。学術体制刷新委員会の部局の区分はそのまま日本学術会議の区分に引き継がれています。

日本学術会議発会式における会長式辞(亀山直人)でも「日本の復興」に力点があり、「平和」や「闘争を避ける」といった要素は見いだせるものの、それは戦前日本国の体制というよりは一般論として述べており、設立趣旨として政府の説明の域を超えるようなことは言っていません。

本書では第一回総会において羽仁五郎氏によって行われた「学術会議声明」の発議と、その原案中に「これまでわが国の科学者のとりきたった態度について強く反省し」という部分について「戦争の反省」という文言を入れるかどうかが動議の主題となったこと、その審議中に横田喜三郎氏が「戦争がはじまったから学者はこれに協力しなければならないということであってはならない」旨の発言をしたことなどについて触れられていますが、それは第一期の委員らの中の認識であって、日本学術会議という組織体の設立そのものに関するものではない。

結局、声明は修正されることなく原案通りとなることが可決されました。

内閣総理大臣の「所轄」の用語法

なお、ここで法 1 条 2 項の「日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする」という規定の意味についてひとこと触れておきます。一般に、法令用語では「所轄」という語は「統括」という語とは区別され、一般の省庁の場合は「内閣の統括の下」(国家行政組織法 1条・2 条など)に置かれ、内閣の指揮監督を受けることとされていますが、人事院や公正取引委員会など内閣からの独立性を保障されたいわゆる独立行政委員会の場合には「所轄」の語が使われ、内閣の直接の指揮監督を受けないことを意味するとされています。この意味で、「内閣総理大臣の所轄」のもとにあるというのは、内閣総理大臣の指揮監督権が及ぶという意味ではなく、逆に、内閣総理大臣の指揮監督権が及ばないこと、組織としての独立性が保障されていることを意味しています。学術会議の独立性は、憲法上の「学問の自由」の保障と法 3 条の「独立して」の規定から明らかなのですが、内閣からの独立性を意味する「所轄」の語が意識的に使用されているということも、重要な意味をもっていることを補足しておきます7。

「所轄」という言葉の用法から、それは独立性を保障する趣旨であり、総理の指揮監督権は及ばないと記述されています。

しかし、本文には注釈がついており、以下の記述があります。

ここで指揮監督が及ばないというのは、学術会議が科学や研究に関わる本来の職務や権限を行使する場合における独立性のことを意味し(法 3 条参照)、その予算(法 1 条 3 項参照)や事務組織(法 16 条参照)など本来の職務や権限に直接関わらない事項について政府の監督権が及ばない、ということを意味するものではない

要するに、晴山氏自身も、「指揮監督権が及ばない」ことの意味として日本学術会議法3条規定の職務を行使する場合の話であるという認識なのであり、総理の「任命裁量」については【触れていない】のが分かります。

同じ「指揮監督」という言葉でも憲法72条にある内閣総理大臣による行政各部の指揮監督権と、行政法上の「指揮監督」の用語法のずれがあります。

行政機関による政策・職務の執行と、その前提となる人事とは別個であるという理解があり、さらには主任の大臣が内閣総理大臣である内閣官房には「国家公務員の人事行政に関する事務」を扱う権限があるということが内閣法に書かれていますから、晴山氏がこの点を敢えて言及をさけることで読者の認識に委ねたというのは理解できます。

これを印象操作と言うかは人それぞれでしょうが、「上手いな」とは思います。

「管理」「監督」「所轄」の用語法の実際

また、国会審議に当たって総理府が用意したと思われる想定問答でも、「所轄機関とは何か」との問いに対して、「日本学術会議は、独立して職務を行う(日本学術会議法第 3条)独立性の強い機関であり、総理府の所管大臣としての内閣総理大臣との関係は、所轄という用語で示されているように、所轄大臣との関係は薄いものとされ、いわゆる行政機関の配分図としては、一応内閣総理大臣の下に属することを示しているものと考えられる」として、先に見たように「所轄」の語が学術会議の独立性を表しており、形式上内閣
総理大臣の下に置かれるに過ぎないものであるとの趣旨の見解を述べています。

想定問答というのは以下の右上の文書。

同様の記述は【法令用語辞典 : 第10次改訂版】にもあります。

所轄1ページ〇〇

しかし、同時に「所轄の具体的内容、すなわち主任の大臣がこれらのいわゆる所轄機関に対しどの程度の権限を持つかは、各々基本となる法律に具体的に規定されちるが、多くの場合は、任命権、一定の場合における罷免権、定期的に報告を受ける権限等にとどまる」と記述されており、「所轄」という単語だけで権限の範囲が決まるわけではないというのが分かります。

また、主任者の権限が大きい順番として「管理」>「監督」>「所轄」であるという旨の記述もありますが、これも実際上の扱いは法律を見ないと分かりません。

たとえば

宮内庁法
第一条 内閣府に、内閣総理大臣の管理に属する機関として、宮内庁を置く。

管理」とあるが、長官の任命権者は天皇であり、長官の権限に人事権があるだけで、内閣総理大臣が出てくるような場面は限定されています。

また、「独立性が高い」と言われている【独立行政法人】であっても内閣総理大臣が「管理」しているところがある。

独立行政法人北方領土問題対策協会法
第十条 協会に、評議員会を置く。
5 評議員は、協会の業務に関し学識経験を有する者及び北方地域旧漁業権者等のうちから、内閣総理大臣が任命する

第十六条 協会に係る通則法における主務大臣は、次のとおりとする。
一 役員及び職員並びに財務及び会計(次号に規定するものを除く。)その他の管理業務に関する事項については、内閣総理大臣

「協会に係る通則法」とは、独立行政法人通則法のこと

独立行政法人通則法
(役員の任命)
第二十条 法人の長は、次に掲げる者のうちから、主務大臣が任命する。
一 当該独立行政法人が行う事務及び事業に関して高度な知識及び経験を有する者
二 前号に掲げる者のほか、当該独立行政法人が行う事務及び事業を適正かつ効率的に運営することができる者
2 監事は、主務大臣が任命する。

したがって、「管理」>「監督」>「所轄」という用語の理解や、「独立した組織」という表現は、一般的な場合における「一応の理解」であって、それらの用語法がすべての場合において貫徹されているわけではないのです。

結局は当該組織を根拠づける法体系や設立時の議論等から判断することとなり、規定の文言だけで何かを決定づけることはできないということです。

平成16年改正時の附帯決議は?

昭和58年の改正時の附帯決議「内閣総理大臣が会員の任命をする際には日本学術会議の推薦に基づくという法の趣旨を踏まえて行うこととする」がやたらと持ち出されています。

しかし、現行制度になったのは平成16年改正によるものであるにもかかわらず、その際の附帯決議をまったく参照していません。以下にまとめています。

衆議院附帯決議「法改正後の日本学術会議会員の選出に当たっては、今回の法改正の趣旨に鑑み、学問の動向に柔軟に対応する等のため、女性会員等多様な人材を確保するよう努めること。

参議院附帯決議「法改正後の日本学術会議会員の選出に当たっては、今回の法改正の趣旨にかんがみ、急速に進歩している科学技術や学問の動向に的確に対応する等のため、第一線の研究者を中心に、年齢層等のバランスに十分に配慮するとともに、女性会員等多様な人材を確保するよう努めること。

といった文言が付与されています。

学問分野のバランスにとどまらず、さらに個人の属性を細かく見て全体のバランスを整えて選出することが政治的にも要請されているのです。

菅総理の言う「総合的・俯瞰的」の中身がこのようなものであった場合、文句を言われる筋合いは無いでしょう。

そして、昭和58年の附帯決議には存在した「内閣総理大臣が会員の任命をする際には日本学術会議の推薦に基づくという法の趣旨を踏まえて行うこととする」という文言が存在しなくなりました。

附帯決議の性質から考えて、これは受け継がれていないと理解する他ありません。

この点についてまったく触れていない点で、晴山氏の報告書は不誠実であると評価することになります。

そして、そもそも昭和58年の時点でそのような附帯決議がわざわざ付されていたという事実それ自体が、法解釈上は(政府答弁がどうであれ)内閣総理大臣の任命裁量が当時の制度であっても一定程度存在する可能性があったためにその足かせを嵌めるためであったということの証左であると言えます。

そして「ナチス」を持ち出す自治労

二―めらー

ゴドウィンの法則を地で行く論法。

こういう物言いになっていることからは、もはや書いている本人も諦めを感ぜざるを得ず、しかし立場上仕方なく執筆している、そういう悲壮感が漂っていると思います。

以上

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