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聖徳太子研究者の石井公成ブログの紹介

「聖徳太子研究の最前線」という名前の元駒澤大学仏教学部教員である石井公成(いしいこうせい)氏が運営しているブログを再発見したので紹介。

聖徳太子研究者の石井公成ブログ『「厩戸王」を実名かのように扱うのは不適切』

学習指導要領改訂に際して書かれた上掲エントリでは以下指摘があります。

「厩戸王」というのは、良心的な研究者であった広島大学の小倉豊文氏が、戦後になってから後代のイメージに縛られずに研究するために仮に用いた名であって、史料にはまったく見えない名だからです。これを実名であるかのように扱うのは不適切です。
そして、 『聖徳太子-厩戸王とその時代-』という題名で人間としての聖徳太子を描く本をまとめようと苦闘した小倉氏は、「私は『厩戸王』というのが生前の称呼ではなかったかと思いますが、ここには論証を省略」します(『聖徳太子と聖徳太子信仰』、綜芸舎、1963年、22頁)と書いたものの、その本は断念し、論証できないまま亡くなりました。
 ところが、この翌年、九州大学の田村円澄氏が『聖徳太子』(中央公論社、1964年)を刊行し、冒頭の「生いたち」という章の最初に「厩戸王」という一節を設けました。史料の根拠を示さずにこの名を用いたのです。末尾の参考文献には小倉氏の上の本も記されています。

このように、一般人にとどまらず、史学者の中にも「厩戸王」の呼称を用いる者が出てきた背景を語っており、史料に厳密な学者はこの語を用いないと指摘しています。

「厩戸王」の語は江戸後期の編纂である『甲斐国志』巻四八にも見られるということも追記されていますが、戦後の拡散状況としては上掲の通り。

最も直近に書かれた聖徳太子の名称関係の記事は2021年2月10日のもの。

一般書籍・受験界隈の参考書について

先日、それなりの大手の書店で一般書籍の歴史本や受験界隈の日本史の学習参考書を見てきましたが、何らの注釈もなく「厩戸王」や「厩戸王子」とする記述をしている書籍がいくつも見つかりました。

さらには、図表にその語を載せておき、本文では聖徳太子に関連する事績をまったく記載しない、という書籍もありました。つまりはまったく重要視していないという事です。

史料にはまったく記載されていない名称であり、単なる予測、しかも論証もされていない名称が、なぜか大手を振って市民権を得ているかのような状況。

これは4年前の学習指導要領改訂時よりも悪化しています。

つい先日も以下の出来事がありました。

令和9年頃にまた学習指導要領が改訂されるでしょうが、そのときにまた聖徳太子・厩戸皇子の語が薄められ「厩戸王」の語がゴリ押しされる危険があります。

それを防がないといけません。これは明らかに政治工作ですから。

そのために石井公成 氏のブログを紹介しました。

是非とも彼の記事を広めてください。

また、学習指導要領改訂時の顛末、当時の言論状況は以下である程度はまとめています。

(そういえば当初、別の歴史用語はたとえば「日華事変」⇒「日中戦争」などと、意味が変わるにもかかわらず「一般で用いられることが多いから」という理由で変更するとしながら、なぜか「聖徳太子」の語は別の論理で変更するなど(結局は残りました)、一貫性の無い変更方針が示されたこともどこかでまとめるかもしれません。)

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