「表現規制はエロから始まる」という謬論
マジでふざけるのもいいかげんにしてほしい。
「表現規制はエロから始まる」って、どこの話だろうか?
共産党の政策でこの話題が広まってますが、実に有害。
「表現規制」された/されている典型例
1945年12月にアメリカ当局によって朝鮮半島で検閲された文書。
米軍による殺人・レイプに関するものだが、それでもソ連軍よりはかなりマシだったという多数の日本人女性の証言が書かれているものです。
GHQはプレスコードを敷いていました。
プレスコード - Wikipedia
4.検閲制度への言及
5.アメリカ合衆国への批判
6.ロシア(ソ連邦)への批判
7.英国への批判
8.朝鮮人への批判
9.中国への批判
ほんの一例ですが、GHQ撤退後もこの影響がメディアにおいて色濃く残っていたというのは実態からして明らかでしょう。
特にアメリカに関する批判が攻撃された例が言及されることがありますが、なぜかロシア・ソ連に関する規制は無視されているし、現在の日本において特に顕著なのがチャイナ・朝鮮に関する話。
安倍晋三議員の事務所が拉致被害者の声を聴かなければ、小泉純一郎総理が金正日総書記に拉致問題の存在を認めさせなければ、「拉致問題はデマ」というのが世の中の趨勢でした。社民党がこの態度でした。
これは通報によって私のはてなブログの規制対象となったページです。
「要修正」とありますが、何も修正せずに放置して現在は規制解除となりました。要するに虚偽の通報だったわけです。
通報された記事、まったくエロとか関係ないですよね?
このように、政治的な表現というのも「表現規制」の大きな領域を占めており、「表現規制はエロから始まる」などという言説はこの認識をスポイルさせる有害な言論です。
その他の表現規制の例:「差別用語(のように扱われるもの)
同和・部落行政が造り出した偽りの差別問題による表現規制
共産党の表現規制の論理はエロにとどまらない
上掲2つの記事で共産党の論理は明らかです。
①「非実在児童ポルノ」も規制対象にする
②保護法益は、実在する児童の自由と人格
③何を規制対象とするべきかは社会的合意による
この主張を根拠づけるために2016年の国連人権理事会勧告ないしブキッキオ報告などを挙げています(上掲記事参照)。
世界では以下の例も。
ロリ作品の規制で比べる世界と日本 ~DLsite vs 世界情勢~
ニュージーランドでは、1993年の映画、映像及び出版物分類法により、児童の性行為や裸体を描いた映像や出版物を「不適切なもの」とし出版・配信を刑事罰の対象とした。2004年に、一般向けアニメ作品のぷにぷに☆ぽえみぃが、児童ポルノと認定され発禁処分を受けている。
また、日本の児童ポルノ禁止法も「3号ポルノ」では以下書かれています
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀でん部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
しかも、今現在話題のVtuberへの誹謗中傷では、まったくエロと認識されないアバターの造形や動きが不適切であるとフェミニスト議員連盟らによって糾弾されています。彼女らの多くは共産党員です。
こうした規定や社会的な動きがあるなかで「③何を規制対象とするべきかは社会的合意による」とする共産党の理屈からは、主観的に不快な表現が排除されることになります。
つまりは「規制され得る対象はエロかどうかに留まらない」わけです。
抑圧の範囲の巨大さに、表現規制反対派こそ気付いてないという現象が広がっている。何で「エロを守ろう!」をお題目にしようとするんだろうか?そんな事をやってるから反対論者も「賛同者」になりにくいんでしょ。近寄り難いでしょ。
CG児童ポルノ裁判判決・韓国アチョン法よりも広い共産党の規制範囲
東京高裁のCG児童ポルノ裁判判決では、実在児童をモデルにしたCGが児童ポルノとして認定されました。
必ずしも,被写体となった児童と全く同一の姿態,ポーズをとらなくても,当該児童を描写したといえる程度に,被写体とそれを基に描いた画像等が同一であると認められる場合には,その児童の権利侵害が生じ得る
非実在児童ポルノを禁止したとする韓国アチョン法も、その後、憲法裁判所によって、規制の範囲に限定がかけられているのがAFEEの以下ページで分かります。
これは日本のCGポルノ判決と類似の規制範囲ということです。
したがって、共産党の提唱する非実在児童ポルノ規制は、韓国のアチョン法よりも広範にわたるということです。
「非実在の描写⇒不特定多数の実在児童の人権侵害」という因果認定ルートの創設
共産党の理屈は、「非実在の描写⇒不特定多数の実在児童の人権侵害」という現行法体系を覆す因果認定ルートを創設することになっています。
これがどういう意味か。
たとえば、「あいちトリエンナーレ2019」で展示された昭和天皇の御尊影を焼却して灰を踏みつける動画
非実在の描写が実在の不特定多数者に対する人権侵害なら、現在を生きる天皇・皇族への人権侵害だろう。
つまり、政治的な主張にも規制が及ぶ話なんですよ。
性的な表現がどうの…という話にとどまらない。
※トリエンナーレと「天皇コラージュ事件」の誤解
①「20分以上の映像で問題シーンは一部で切り取りだ」
②「焼却映像は「天皇コラージュ事件」を表してるだけ、燃やされてるのは作者の作品であって昭和天皇の御尊影ではない」
こういう言い訳があるが
①は一部だからという理屈は通らないし、②は事実捏造。
当該事件で焼却されたのは作品そのものではなく図録
「社会的法益」による規制なら認めてもよいのか?
では、もしも共産党が理論を修正して「社会的法益」による非実在児童ポルノ規制をするというなら認めてもよいのか?
実は、現行の児童ポルノ禁止法も、個人的法益に限らず「社会的法益」をも含む規制根拠であるとCG児童ポルノ裁判で裁判所が述べています。
このような同法の児童ポルノに対する規制の在り方に鑑みると,同法が保護法益とする児童の権利は,児童の実在性が認められることを要するという意味で具体性を備えている必要はあるものの,個別の児童の具体的な権利にとどまるものではなく,およそ児童一般の保護という社会的法益と排斥し合うものとは解されない。さらに,同法は,身体的,精神的に未熟で,判断能力が十分に備わっていない児童を性的搾取又は性的虐待から保護するという後見的な見地から,その権利を侵害する行為を規制することを予定しているものであり,児童の権利侵害を防ぐという同法の目的を達成するためには,現に児童の権利を侵害する行為のみならず,児童を性欲の対象としてとらえる社会的風潮が広がるのを防ぐことにより,将来にわたって児童に対する性的搾取ないし性的虐待を防ぐことが要請されるというべきである。この意味において,同法の規制の趣旨及び目的には,社会的法益の保護も含まれるといえるのであって,所論がいうように,純然たる児童の権利保護のみを目的とするものとみるのは相当でないといわざるを得ない。
このことは,児童ポルノ法の立法過程における議論とも整合的であり,また,現行法7条1項において,自己の性的欲望を満たす目的での児童ポルノの所持が処罰されることとなったこととも整合的である。すなわち,同条1項の目的での児童ポルノの所持罪は,児童ポルノの市場が形成され,そこで児童ポルノが流通することを防止するなどの趣旨で設けられたものであるところ,このような規制は,将来にわたる性的搾取及び性的虐待を防止するという目的を達成するものといえるのに対し,児童の権利保護の観点からは,根拠づけることが困難であるというべきである。同条1項の罪は,国内外における法規制の要請の高まりを受けて,本件行為後の平成26年の法改正で新設されたものではあるが,上記改正によって児童ポルノ法の趣旨及び目的が変質したと考えるべきではなく,上記改正以前から,もともとあった同法の趣旨及び目的をより効果的に達成するために設けられたものと解すべきである。
あくまで「児童の実在性が認められることを要するという意味で具体性を備えている必要はある」とされている点に注意。
日本現行法の児童ポルノではない「非実在児童ポルノ」は、そうした具体性が存在しない。
ただ、非実在児童ポルノが「児童を性欲の対象としてとらえる社会的風潮が広がり」、「将来にわたって児童に対する性的搾取ないし性的虐待」が発生するおそれがあるからそれを防ぐことが要請される、という理屈が採られた場合、どう対応するのか?
立法事実の不存在を言うこともできるだろうし、「別の効能」を主張することもできるかもしれない。
ロリ作品の規制で比べる世界と日本 ~DLsite vs 世界情勢~
アメリカ合衆国では準児童ポルノを全面規制していた児童ポルノ禁止法(Child Pornography Prevention Act of 1996:CPPA)が、2002年にアシュクロフト対表現の自由連合裁判で憲法修正第1条(言論、出版などの自由)違反で違憲判決された。しかし、2003年に新たに施行されたPROTECT Act of 2003では、範囲を狭めて、最高裁が定義するわいせつの範疇に当てはまるものは、絵画や漫画などの「バーチャル児童ポルノ(Virtual child pornography)」も規制対象とした。実際に、PROTECT Act of 2003を適用したわいせつ児童ポルノ漫画所有の罪で逮捕者も出ている。 なお、CPPAに対する違憲判決では、ヴァーチャルな作品が児童に対する性的搾取につながる、とする政府側の主張を、その因果関係は明白ではないとして退けたうえ、ヴァーチャルな児童ポルノが流通すれば、かえって違法な児童ポルノは姿を消すのではないか、との認識が示されている。
とりあえず現在までの情報で書ける所まで書いたが、表現規制の実態と、共産党の理屈はエロ規制に留まらないということから、より広く連携した反対運動を展開するべき、ということです。
「表現規制はエロから始まる」などというのは謬論でしかない。
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