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「国葬に法的根拠が無い」は本当か?

安倍晋三元内閣総理大臣の国葬儀が話題ですが、「国葬には法的根拠が無い」という主張があります。

それって本当でしょうか?
はてなブログでは既に以下でまとめていますが、noteでは違った切り口から書いていきます。

国葬に法的根拠が無い?

①国葬実施が許される形式的根拠が無い
②国葬実施に値する実質的根拠が無い

現在、「国葬には法的根拠が無い」と言っている人らは上記①の点を中心に述べています。

その理由を観察しているとだいたい以下の主張がみつかります。
いくつかは事実誤認のものが含まれます。

①国葬令が失効されているから
②国葬令が失効したのは新憲法に不適合だから
③国葬令は「法律を以て規定すべき事項を規定するもの」として失効
④「法律による行政の原理」に反するから
⑤内閣府設置法は組織法に過ぎないから
⑥歴代政府が「法的根拠」が無いと答弁していた
⑦内閣府設置法4条3項33号の「儀式」には「国葬儀」は含まれない/含まれるか明らかではない
⑧国葬を実施すると弔意の表明の事実上の強制が起こるので国民の思想良心の自由や信教の自由を侵害する/脅かす

なお、「国費を支出するのはダメだ」と言う主張の前提には国葬の実施自体に法的根拠が無い、という主張があるので、国費関連の話は捨象しています。

以下、これらに対する返答をしていきますが、内容は冒頭のはてなブログ記事で詳細にまとめています。

戦前の勅令である国葬令廃止に関して

①国葬令が廃止されているから
法令上の根拠は無いが「法的根拠」とは別問題。

法的根拠と言う時は憲法や不文法の慣習法・判例法・条理も含まれるので、実体法規が存在しないことをもって形式的な根拠が無く許されない、と直結させるのは危うい立論です。

ここは、④と関係しますが、国葬令の制定ではじめて国葬の法的根拠が付与されたのではなく、慣習で行われてきたことを確認するものとして制定されたに過ぎず(創設規定ではないということ)、国葬令が無いことが法的根拠が無いことをただちには意味しません。

②国葬令が廃止されたのは新憲法に不適合だから
新憲法に不適合なのは国葬令の中の一部の内容だけ

次の③の説明とかぶりますが、その前提として勅令である国葬令の全体が新憲法に不適合、ということでは決してありませんし、勅令という法形式が許されないから、ということでもありません。「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」によって失効しましたが、法律にすることは許されていたのですから。もしも憲法上許されないなら、法律化も許されません。

③「法律を以て規定すべき事項を規定するもの」として失効したから
政府は国葬令中の「勅裁」や「特旨」などの文言があることから法律事項であり、別途の立法も為されないので失効した。

第43回国会 衆議院 内閣委員会 第14号 昭和38年3月29日
○高辻政府委員 ただいま御指摘の勅令三百二十四号、いわゆる国葬令でございますが、御承知の通りに、国葬令自身を廃止した法令というものはございません。ございませんが、実はもうすでに御承知だと思いますが、昭和二十二年法律第七十二号という法律がございまして、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以って規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。」という立法がございます。その立法によりまして、法律事項を規定しておるものは現在効力はない。二十二年の十二月末日まではありましたけれども、その後はないということに相なっております。そこで、この国葬令が事実的に廃止されておりませんので、どうかという問題はございますが、この国葬令をながめて見ますと、「勅裁ヲ經テ之ヲ定ム」とか「特旨ニ依り国葬ヲ賜フコトアルヘシ」とかいうような規定があります関係からいたしまして、ただいま瓜生次長が御指摘になりましたように、現在は効力がないというのが相当であろうと思います。

ただ、「国会が国葬令中のその他の規定を立法化しないという選択をしたではないか、その経緯からして立法化しない状態での国葬はダメだ」というような主張は、一理あります。

「行政府ではなく、議会=国会を重視しろ、国権の最高機関たる所以は何なのか、国会設立の礎となった【民撰議院設立建白書】の精神はどこへ行ったのか」、というような観点からの批判はあり得るところです。

ここまでくると法律論(法解釈論)ではなく立法論=政策論の領域と思われるので深入りはしませんが、現行制度を前提・是認・当然のものとして思考するのではなくさらに遡り、改憲論も含めた、理想のあるべき姿から現実を評価するという思考も排除すべきではないでしょう。

「法律による行政の原理」の誤解

④「法律による行政の原理」に反するから
根拠規範が求められるのは「侵害行政」の場合、およそすべての場合に行政に法律上の根拠を求めるという理解は学界も実務も裁判所も採っていない。

行政が行為する際に法律上の根拠が必要な場合はどういうものか?という行政法学の解釈論があります。判例実務は「侵害留保説」であり、国民への「侵害」があると認められる行為に関して求められるに過ぎません。

現実に8月の戦没者追悼式なども法律上の根拠は無く閣議決定に基づいて行われていますし、当たり前のことです。

⑤内閣府設置法は組織法に過ぎないから
⇒同上

「内閣府設置法は組織法であり、所掌事務の範囲を明確にするに過ぎない」というのは正しい。しかし、「侵害」でない場合には根拠法は不要、というのが侵害留保説なので、あとは規制規範があればより良いよね、という話になる。

別の理解(権力留保説や重要事項留保説など)に基づいて論を展開するならよいが、そのような立論が反対論者から発せられることはありません。

歴代政府が「法的根拠」が無いと答弁していた?

⑥歴代政府が「法的根拠」が無いと答弁していた
事実誤認。「法令の根拠はございません」とは答弁していた。

これは東京弁護士会の会長声明で書かれた事実誤認の言説なのですが、他にも言っている人は多そうです。「法的根拠」と言う場合と行政が「法令」と言う場合の標準的な意味にはズレがあります。

このことは以下で書いてますので指摘するにとどめます。

佐藤栄作元総理を国葬にするか否かの際の議論に関する言説も、「法的根拠が無いと政府が認識していた」とするものが多いですが、そういうことはありません。

内閣府設置法4条3項33号の「儀式」に「国葬儀」は含まれるか明らかでない?

⑦内閣府設置法4条3項33号の「儀式」には「国葬儀」は含まれない/含まれるか明らかではない
⇒ここは政策論も含まれる。含まれるとするかしないかの話かもしれない。
⇒国語の「儀式」には葬式が当然に含まれる。
⇒憲法7条10号の「儀式」には大喪の礼も含まれることから、他の法令上の「儀式」には、それに準じる国葬が対象として含まれていると解しても無理はない
※追記※
宮内庁法2条8号にも「儀式」があり、皇室関連の葬儀がここに入ってきます。
なお、浜田聡議員の質問主意書に対する答弁書でも宮内庁法と日本国憲法上の「儀式」との関係を説明する部分があります。
国葬、国葬儀、合同葬儀の違い等に関する質問主意書:参議院

※9月12日追記※

読売新聞が9月6日に報じた内容では、内閣府設置法立法時の議論を整理した逐条解説本には、内閣府設置法4条3項33号の「国の儀式」には憲法7条10号の「儀式」と、その他閣議決定で国の儀式として位置付けられた「儀式」があるとし、後者の例として故吉田茂元総理大臣の国葬儀が該当すると記載されているとしています。
※※追記終わり※※

もちろん憲法上の文言と同じ文言を使っていても法律では異なる意味内容のものはあります(例:「押収」は刑事訴訟法上は差押え・領置・提出命令が含まれるが、憲法上の押収は刑訴法上の差押えの意味)が、意味が被る内容が全く無い、完全に異なるもの、という理解が第一義的に来るような判断の仕方は危うく、解釈の手法として不安定に過ぎる。

仮にこうした思考の枠づけができないなら、あらゆる事象について法令においていちいち限定列挙すべき、ということに話は収斂していきます。

国葬は弔意の表明の事実上の強制、思想良心の自由や信教の自由を侵害/脅かす?

⑧国葬を実施すると弔意の表明の事実上の強制が起こるので国民の思想良心の自由や信教の自由を侵害する/脅かす
⇒法的根拠が無い理由にはならない。
⇒国葬を実施することそれ自体が弔意の表明の強制にはならない。

国葬実施に際して要請される行為の中で強制性の契機があるようなものがあれば別ですが、戦後の過去の国葬(吉田茂元総理)や合同葬などの場合にそのようなおそれのある要請が為されたことはありません。

「どうなるかわからないだろ」と言う者が見られますが、それはもはやどんな事前ルールを敷いてもそう言うのであって、不可能を強制しているのと同じです。

全国津々浦々であらゆる主体によって行われる国葬の実施に関連する種々の行為に関して、国民に対する権利利益の侵害が絶対に発生しないようにしろ、などという話について政府が義務を負う謂れは無い。

この場合でも予め一定のルールを作っておけばよい、という主張は有り得ますが、私見としては無駄な法規が出来上がりコストがかかるだけだと思います。権利侵害に至らないレベルの種々の抑圧的な状況の発生については、法的な評価ではなく、政治的な評価として選挙で審判を受けるべきです。

安倍晋三元内閣総理大臣には「国葬実施に値する実質的根拠が無い」について

これまでは国葬儀の制度自体の法的許容性の話をしてきましたが、ここでは国葬儀制度自体は法的根拠があるとしても、安倍晋三元内閣総理大臣にかんしては「国葬実施に値する実質的根拠が無い」、だから法的根拠に欠け、実施は違法だ、という主張について扱います。

国葬令でいうところの「国家に偉功がある者」の該当性判断ということになりますし、戦後においても同様の判断基準で決定されてきたものですから、ここはほとんどが【安倍政権の功績】についての評価の話になります。

このような見解を述べる者は少数ですが、政治的主張の左右のいずれからも指摘されることがあります。

FOIP(自由で開かれたインド太平洋戦略)やTPPの締結など、外交政策上の評価や、金融政策を軸としたアベノミクス(道半ばだったが)とそれによる雇用の改善を正しく評価するか否かによって、見解が大きく変わりそうです(正しく評価した上で変わらない、ということもあり得る)

雇用政策に対する評価に関してはネットも大手メディアもデマと情報の隠蔽で溢れています。

※追記※

安倍氏の功績を振り返る記事を書きました。

※追記終わり※

国葬儀実施の理由として持ち出してはいけないもの

国葬儀実施は国葬令が制定される以前から「国家に偉功のある者」を対象としてきました。それは国葬令が失効した後の吉田茂元総理の国葬儀でも同様です。

岸田総理は安倍元総理の国葬儀を決定した会見では以下発言していました。

岸田内閣総理大臣記者会見 更新日:令和4年7月14日

 安倍元総理におかれては、憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど、その御功績は誠にすばらしいものであります。
 外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており、また、民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去されたものであり、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられています。
 こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元総理の葬儀を行うことといたします。国葬儀を執り行うことで、安倍元総理を追悼するとともに、我が国は、暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示してまいります。あわせて、活力にあふれた日本を受け継ぎ、未来を切り拓いていくという気持ちを世界に示していきたいと考えています。

これは、安倍政権についての背景説明と国葬に値するかどうかの評価が一体となった発言であると言えます。もっとも、記者会見上での話なので、厳密さを捨象してコンパクトに説明しただけと言っても十分通用するでしょう。

ただ、この中で、国葬実施の実質的根拠に含めてはいけない要素がいくつかあります。

・歴代最長政権
・選挙中の凶弾に倒れた

これらは「政権の功績」「国家への貢献度」とは無関係であり、それ自体は国民や国家において何らの意味もありません。

※8月7日17時40分追記
「歴代最長政権」は、過去の前例との比較で不相当ではないことの意味としての趣旨ならば理解できる。つまり功績の判断のためにはあまりに短い政権だとその疑義が生じるが、そうではない、という意味。
また、「選挙中の凶弾に倒れた」については、国葬となった吉田茂元総理(7年2か月)よりも長い政権期間(7年8か月)であったにもかかわらず国民葬となった佐藤栄作元総理大臣の場合、現役政治家に対するものであったことが影響したと考えられており(死去の時点で政治的評価が定まっていないということ)、安倍晋三元総理の場合も現役政治家であることから同様の懸念が生じ得るところ、事件の性質に鑑みて現時点での功績評価を行う必要がある、というような事情として挙げたのかもしれない。
※追記終わり※

「国際社会から極めて高い評価」「国の内外から幅広い哀悼、追悼の意」については思惑が渦巻くものが常なのですが、安倍氏が総理職ではない時期にも【自律型外交兵器】と化していた面もあり、「政治家安倍晋三個人としての国家への貢献」を国葬実施のための評価として完全に排除するべきなのかは議論があっても良いと思われます。

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