不倫と少子化

日本のマスコミは不倫報道に熱を上げている。「文春砲」なるものをしんがりにして、テレビにでるありとあらゆる人間をやり玉にあげている。鬼の首を取ったような批難の嵐だ。

現代の結婚は、好きな人と結婚するのが当たり前となっている。しかし、「好きな人と結婚しなければならない」とはどこにも書いていない。日本国憲法には「両性の合意によってのみ」としか書かれていない。

戦前は、家と家同志の結婚で、戸籍は血をつないでいくための記録簿、社会のセーフティーネットとしての制度であった。戸籍には「妾」という欄があったので、男尊女卑という面の一方で、その女性や子供は制度的に守られていた。男性に「やり逃げ」をさせないためだ。また、ある程度位のある軍人は、出征前に見合い結婚ということもあった。夫がすぐに死んでも、その女性は「軍人恩給」で一生暮らしていける。

田舎には「夜這い」という風習があったことは知られているが、「不妊」が離婚事由の第一位だった社会では、女性を守る意味もあった。男性の不妊のせいで、女性が離縁され、生活の場を失うのは理不尽である。誰の子かもわからなくてもいい、みんなが安心して暮らせればそれでよかったのだ。

親はなくても子は育つというが、昔の日本では、子は、家や村のような一種の共同体のなかで育てられていた。共同体がとっくに消滅しているのに、愛とかいう正体のわからない、かつ、はかないものに結婚を託し、それを前提に育児や子育てをしろというほうが無理である。

現代の日本は窮屈だ。西洋式に好きな人と結婚しなくちゃいけないし、日本式の倫理観によって好きな人は独身でなければならない。 なおかつ、子供は、結婚している親から生まれなければ、何かと大変だ。

フランスでは、3人目から、日本でパートで働くよりもよっぽど多い額の子供手当がでる。フランスのように結婚から切り離し、育児や出産を産業化すれば、出生率も上がるかもしれない。(現にフランスは出生率が上がった)


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