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一歩間違えたら死ぬところだった話

気づけば随分遠くまで流されていた。
底は見えず、足もつかない。
泳げない上にライフジャケットも着ていない。
助けを求めて必死に辺りを見渡すが、僕以外は誰もいない。
それもそのはずだ。だって今は朝の5時過ぎなんだから。
大人たちは誰も起きて来ない。
とにかく顔を水面から出そうともがき続けてはいるが、自身の体力が一歩一歩着実に限界に近づいているのを、僕は絶望的な気持ちで感じ取っていた...


小学五年生の夏休み、僕は家族友人ら10人くらいで遊びに行った。
2泊3日の小旅行だ。
目的地は本土からフェリーで20分程の場所にある小さな離島。
田舎町が広がる静かで平和な島なのだが島の一角にリゾートビーチがあり、夏になるとそこが観光客でごった返しになる。
そして僕達の目的地もまさにそこだった。
白い砂浜には木製のロッジがずらりと並んでいて、そのひとつを借りて拠点とした。
拠点と言っても荷物置きにするだけで、あとは寝る時以外は基本的には戻らない。
僕は朝から晩まで一日中遊びまくった。

昼は海水浴。
砂浜を走り回って浅瀬ではしゃぐのに飽きたら、ライフジャケットを着て大人の背に乗り、沖の方まで連れて行ってもらった。
目的地は「ジャンプ丸」。
恐らく漁船を改造したのだろう、小さな船が1隻沖に浮かんでおり、そこには様々な滑り台や飛び込み台が設置されている。
その船の周りはいつも人で溢れかえっていて、海の上には順番待ちの列が出来ていた。
僕も長い列に並んでやっとジャンプ丸に乗り込んだが、結局1番低いジャンプ台から一度飛んだだけで終わってしまった。
もっとたくさん飛べたらいいのになぁと残念に思ったが、それ以上に海で遊ぶのはとにかく楽しかった。

夕方になると大人たちがBBQを始めた。
大人たちが焼いてくれたウィンナーを紙皿に乗せて割り箸で食べる。
ただのウィンナーなのにやけに美味しく感じた。
やっぱり海でするBBQは良い。
腹を満たすとまだまだ遊び足りない僕は友達を連れてまた海に行って遊んだ。
少しずつあたりが暗くなってきたので大人たちが僕らを連れ戻しに来た。
明日も遊べるというのに名残惜しい気持ちになりながら海から上がった。

だがそんな寂しい気持ちもつかの間、大人たちに虫取りに誘われた。
ビーチの裏はうっそうと茂る山になっている。
虫取りスポットまで車で運んで貰い、セミやらカブトムシやらを探してみんなで夜の山を探検した。
奮闘虚しく僕は何も取れなかったが、友達はクワガタをゲットしていた。
それがとてもとても羨ましくて、あんまり羨ましそうにするものだから友達のお父さんが自分でとったカブトムシを僕が肩から下げていた虫かごに入れてくれた。
あれはほんとうに嬉しかった。

そしてビーチに戻ると大人たちがタバコを吸いながら海の家で楽しく談笑していた。
僕は彼らに混ざって色々お喋りした後、椅子を1つ借りて砂浜の方まで降りていった。
後ろを振り返れば電灯の明かりの中から大人たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
前を見ればひたすら真っ暗闇で、ただ波の音だけが静かに聴こえてくる。
僕は海を正面にして椅子に座り、しばらく目を閉じていた。
本当に心地よかった。

そんなこんなで散々遊んで、遊び疲れた僕はようやくロッジに戻った。
簡単にシャワーを浴びたら木の床に薄い布団と枕だけ置いて横になる。
今日はほんとに楽しかったなぁ。よし、明日起きたらまた海でみんなとたくさん遊んで、BBQして、それで...
そんなことを考えながら僕は眠りこけた。

一日目はこんな風に過ぎていった。
ほんとうにあっという間だったが、これまで経験した中で最高の一日だった。
そして明日もきっと素晴らしい日になるだろうと、僕は確信していた。



目が覚めた。
瞬間飛び起きる。
夏休みの小学生のエネルギーは凄まじいもので、起床1秒で僕の準備は全て整っていた。
さあ遊ぶぞ!
...しかしあたりは驚く程静かだった。
横を見ればみんなまだ寝ている。
枕元に置いてある時計を見ると針は5時ちょっと過ぎくらいを刺していた。
どうやら僕は遊ぶのが楽しみ過ぎてバカみたいに早起きしてしまったらしい
さてここからどうしようか。
二度寝しようにも目は完全に覚めてしまっているし、こんな時間にみんなを叩き起して遊びに付き合わせるのも申し訳ない。
結局僕はみんなを起こさないようにそろりそろりとロッジを出て、1人でビーチに降り立った。

太陽のまだ出ていないビーチは昨日の喧騒が嘘のように静かで、空と海のせいか全てが青みがかって見えた。
やっぱり誰もいないか...仕方ないからみんなが起きるまで1人で遊んでいよう...
と思ったとき、よく見たらビーチに1人のおじさんが立っているのが見えた。
僕が手を振るとおじさんも手を振り返す。
僕はおじさんに近づいていった。
「おはようございます!」
「おはよう、朝早いのにもう起きてるの?」
「海で遊ぶのが楽しみで!」
「そうかそうか笑  元気でいいねぇ」
「えへへ...あの、ちょっとお願いしたいことがあるんですけど!」
「ん、なんだい?」

「僕をジャンプ丸まで連れて行ってくれませんか?」

当時の僕に人見知りという概念はなく、またおじさんはとっても良い人だった。
おじさんは僕のお願いを快く聞いてくれて、僕を乗せてジャンプ丸まで運んでくれたのだ。
何か忘れているような気がしたが、ジャンプ丸がどんどん近づいていくにつれどうでもよくなった。
ワクワクが高まってくる。
おじさんは僕をジャンプ丸まで送った後、泳いで岸まで帰っていった。
そして海の上には僕と無人のジャンプ丸だけが残った。
ジャンプ丸を独り占めできる!
昨日の昼は長い長い列に並んでやっと使えたあのジャンプ台も、1番長い列を作っていて結局諦めたあの滑り台も、全部使い放題だ!
僕はそれはそれははしゃぎまくった。
僕はジャンプ台やら滑り台やら、ジャンプ丸に乗せてあるアトラクションをひとしきり楽しんだあと、最後に1番高い飛び込み台から勢いよく船の外に飛び出した。
そして不格好に着水、水面から顔を出し船に戻ろうと振り返ったとき、僕は気づいた。

ジャンプ丸が、遠い。

そして同時に、とても大事なものを忘れていたことも思い出した。

僕はライフジャケットを付けていなかった。

やばい、やばいやばいやばい、船まで戻らなければ
手足を必死に動かすが緩やかな波に押されて体はどんどん船から遠ざかっていく。
カナヅチである僕にその波に逆らって進むだけの技術はなかった。
おじさんもとっくにどこかへ行っていて、僕はただもがくことしか出来なかった。
もう全てが手遅れだった。



気づけば随分遠くまで流されていた。
底は見えず、足もつかない。
泳げない上にライフジャケットも着ていない。
助けを求めて必死に辺りを見渡すが、僕以外は誰もいない。
それもそのはずだ。だって今は朝の5時すぎなんだから。
大人たちは誰も起きて来ない。
とにかく顔を水面から出そうともがき続けているが、自身の体力が一歩一歩着実に限界に近づいているのを、僕は絶望的な気持ちで感じ取っていた...


バチッ!
もがく手に、何かが当たった。
何でもいい、とにかくもうこれしかない。
文字通り藁にもすがる思いで僕は「それ」を握りしめた。
瞬間僕は「それ」の正体を知っていることに気がついた。
ロープだ。
それも岸とジャンプ丸とを繋ぐロープ。
ジャンプ丸が海に流されてしまわないように、ロープで繋いでいるのだと、確か昨日友達のお父さんがそう話していた。
そのロープだ!
僕はロープを急いで手繰り寄せると脳みそをフル回転させ始めた。
前か、後ろか、その2択。

前にあるのはジャンプ丸。だいぶ離れてしまっているがロープを伝っていけば確実に戻れるだろう。だがその前に僕が力尽きてしまうかもしれない...ジャンプ丸まで戻るということはより沖の方に出るということだから、もし途中で力尽きたらほぼ助からないだろう...

後ろにあるのはビーチ。こちらもロープで繋がっているから伝っていけばたどり着けるが、距離は見たところジャンプ丸より更に遠い。今の自分の体力で果たしてあそこまでたどり着けるか...?自信は全くない。しかしこちらなら途中で力尽きてもビーチまで流されて、気づいた誰かが助けてくれるかもしれない...

決断は一瞬の内に行われた。
僕は意を決して素早く後ろを振り返り岸を見る。
大きく息を吸って、目を閉じ潜る。
そして僕は今持っているエネルギーの全てを手に集め、渾身の力とスピードで、ロープを引いた。



目をつぶっているので何も見えず、耳にはただ水が猛スピードで流れていく音だけが聞こえている。
だんだん息が苦しくなってくる。
息継ぎをするだけの余力はもう残っていない。
だがどんなに苦しくてもロープを手繰る手だけは絶対に緩めてはならない。

僕にできることはもうそれだけだった。


...

...まだ?

...まだ足は、つかない?

...どれくらい岸に近づいた?

...いや、そもそもこのロープは岸に通じているの?

...昨日聞いたものとこのロープとは実は全く関係ないんじゃ...

...分からない、何も...

...苦しい...僕死ぬのかな...やだなぁ...




足ついた!!

...そうして僕はなんとか岸にたどり着いた。
岸に着いてしばらくは砂浜を両の足で踏める喜びを噛み締めていたがそれも飽きてきて、なんだか遊ぶ気分ではなかったのでぼーっとビーチに座っていた。
しばらくするとみんなが起きてきて、こんなに早起きして何をしてたのかと聞かれたが、僕は何故かこの出来事を言う気になれず、適当に誤魔化した。
そうしてみんなと再び海で遊び、昼にまたBBQをして、フェリーに乗って帰った。
なんだかあまりに一瞬の出来事で現実感がなく、2日目は夢でも見ているように終わってしまった。

帰りのフェリーの中で僕は、溺れかけた時ふと岸の方が見えた時の光景を思い出していた。
朝焼けが波の穏やかな海と誰もいない白い砂浜をきらきらと静かに照らしていて、それがやけに綺麗だった。
あの時色々と考えてはいたけど、結局船ではなく岸に向かおうと思ったのは案外そういう理由だったのかもしれないと、僕はぼんやりと思った。


おわり




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