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心が大きく揺さぶられるのは、いつも愛に触れたとき

はじめてこの曲を聴いたとき、普段音楽を聴いてめったに泣かないわたしが、ぽろぽろと涙を流した。
泣くなんて全く予想だにしていなかったので、自分の涙に自分でとても驚いたことを覚えている。

このひとがこんなに大きな愛の歌を歌うなんて、という驚きと、「愛してる」という言葉を使わずにこんなに丁寧に繊細に愛を言葉で紡ぐんだという眩しさが、わたしをそうさせたのだと思う。

この曲を知ってから、わたしはずっと愛について考えている。

「愛だなあ」と思う瞬間は日常に溢れていて、だけどそれをひとつひとつ拾い上げて確認することはあまりなかった。
たとえば、わたしは好きなアイドルたちがお互いを心の底から大事に思って、「アイドルグループ」でいることよりも「個人が人として幸せに人生を歩んでいること」を尊重していることはとても尊くて、静かな愛だなと思っている。
それと、よく訪れるカフェで、店員さんが「お茶がお好きなんですか?でしたらこれも是非試してくださいね!」と、わたしの好みを察して次回のためのおすすめをしてくれるのも愛だと思う。
あとは、友人が毎年欠かさずにわたしの誕生日におめでとうメッセージをくれる(しかも大体日付が変わってすぐにくれる、、)のも、ずっと愛だなと感じている。

「愛」と聞くとなんとなく「恋愛」と結びつけてしまうところがあったのだけど、こう考えると愛って日常で結構触れているのかもしれない。
もちろん愛をどう定義するかにもよるのだけど、多分わたしは「誰かが誰かのためを想っている状態」そのものを愛だと捉えている気がする。
そういう状態でいると、行動にも考え方にもそれが現れるし、「愛してるよ!」と言葉で伝えなくてもそういったものを介して伝わるものなのだと思う。

ここであえて例として触れなかった恋愛における愛について考えてみると、わたしはパートナーから愛をたくさん受け取っているなと思う。
体調を崩したわたしからなかなか連絡が来なかったときに、「大丈夫?」と再び連絡をくれたこと。
ひとりでの夜の外出で怖い思いをしたあと、自分は頭が痛かったのに駅まで迎えに来てくれたこと。
先に家に着いたわたしのために、マグカップとティーバッグと「◯時に帰るから待っててね」というメモを残してくれたこと。
どれを取っても見返りを求めていなくて、純粋にわたしのためを思ってくれている愛だなと感じる。

愛はぼうっとしていると乗り過ごしてしまう小さな駅のようなものかもしれないけれど、ちゃんと自覚しようと思えば気がつけるし、そうしていると実はいろんな愛に囲まれて生きているんだなとわかる。

別にパートナーや家族、友達からの愛でなくてもいい。日々関わる人から受け取るいろんな種類の愛に気づけると、それだけ自分も豊かになっていく気がする。
愛に触れるとその大小に寄らず力が湧いてくる気がするし、それを原動力に生きていける気さえする。

わたしは「これが愛ですよ」と言わずに押し付けがましくない愛を伝えていける人でありたいし、自分が受け取る愛にも敏感でいたい。

最近はもしかしたら愛が人生の原動力なのかもな、なんて思いさえする。

まだまだ考えたりないから、愛にまつわる本をたくさん読んだり、まわりの素敵な大人の話を聞いてみよう。

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