ソーシャルデトックスに挑戦してみる

現代に生きる私たちは、毎日色々な情報に囲まれて生きている。

その中には自分が本当に必要としている情報もあれば、必要ではないがたまたま目に飛び込んできた情報もあるだろう。

私はTwitter、Instagram、Facebook、LINEの4つのSNSを日常的に利用しており、電車の中で、ベッドの上で、お風呂の中で、なんとなく暇だな、と思ったときやなんとなく何かつぶやきたいな、写真を載せたいな、と思ったときにそれらのアプリを開いている。

しかし、最近、「なんとなく」見ている情報に振り回されている自分に気がついた。

最近のTwitterでは、様々な話題で議論が展開されている。もちろんその中には正しい主張もあるのだが、みんなが「自分が正しい」という感情を振りかざして、どうにか自分と対立する立場にいる人を蹴落とそうとしているように見える。

もちろん正しいことを正しいということは間違っていないのだが、あまりにも他人を傷つけるような言葉を使うことを厭わない人が多いなと感じる。

また、Instagramでは、毎日自分の周りの友達が楽しそうにどこかへ遊びに行ったり、彼氏彼女と仲よさげな写真をアップロードしたりしている。私も友達と遊びに行ったり、面白いなと思ったことがあったり、彼氏と遊びに行ったりしたときに気軽にポンと色々な写真をアップロードしており、そこには何の他意もない。

しかし最近、そんなみんなが何となしに載せた写真が、私にとってショックなものであったり、落ち込むきっかけになったりしたことがあった。

直接的に自分を傷つけようとしているものではなくても、ちょっとしたきっかけが私の「落ち込みゾーン」を刺激し、やがてはストレスになっていた。

そんなわけで、最近私はSNSを見ることが苦痛となってきていたのだった。

もちろん、SNSは個人が勝手に始めるものだし、辞めるのだって誰かの許可を取らなければいけないわけではない。

でも、私はTwitterでつぶやいたり友達とくだらないことでやりとりしたりするのが好きだし、Instagramで綺麗な写真を見たり、友達と遊びに行った写真を投稿したりするのだって楽しんでやっていた。

SNSを「やめる」という決断は、私にとって日常のちょっとした時間を埋めるものを取り去ってしまうことと同義だ。

しかし、その日常のちょっとした隙間を埋めるのはSNSでなければいけないという理由はない。

小学生や中学生のとき、私は暇さえあれば絵を描いたり読書をしていた。それがやがて自分の趣味になり、今でもそれらが好きだと思える。

それなら、今までSNSで埋めていた時間を、自分の本来好きな読書や映画鑑賞、文章を書くこと、などといったことに充てたらどうだろう。

また、スマートフォンが普及してからというもの、電車の中では画面とにらめっこする人ばかりになってしまった。

もちろんスマホを使って本を読んだり、調べ物をしたり、課題や仕事をこなしたりしている人もいるのだろう。

でも、私は、自分の目の前に美しい景色や面白いものがあったら、それにきちんと気づける人間になりたい。それを即座に写真に撮って、友達とシェアするもの楽しいけれど、自分の記憶に焼き付けて、時々思い出して幸せな気持ちになりたい。

もっと自分と向き合って、周りを見て、五感をフル活用して生活できる人でありたい。

もしかしたら、SNS漬けの生活から脱却することで、日々の生活がもっと充実して、心が豊かになるかもしれない。

そんなわけで、今日からSNSをやめ、ソーシャルデトックスを始める。

期間は設けていないので、もしかしたらまたすぐに始めるかもしれないし、長い間SNSと離れるかもしれない。

自分の気持ちが赴くままに決めたいと思う。

最近心がしんどくなったり、考えることをやめたくなったりする瞬間がいくつもあった。

ソーシャルデトックスで、もう少し自分のことが好きになれたらいいな。

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