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20年間 行方不明だった「なりたい自分」

小6のとき母のとある一言で将来の夢をなくしてから、自分がどうなりたいのかがわからなかった私。完全に人生迷子だった私。

約20年という時を経て、長らく行方不明になっていた「なりたい自分」が見つかったというお話です。

将来の夢は漫画家になること!物心ついたときからそう人に伝えていた。
同じく絵を描くことが好きな従姉妹と、文通ならぬマンガ通(マンガを書いて送り合う)を何年も続けていた。

いとこからの「絵はそんなに上手じゃないけど、話が面白いよね」という反応が嬉しかった。絵がdisられてることなんて全く気にならず、面白いと言われることは最高の褒め言葉だったのだ。

小学生高学年になる頃には、スクリーントーンを東急ハンズで買って貼り付けていた。それっぽくなっていく自分の漫画にわくわくしたものだ。そしてキッスの絵をひたすら練習していた。(キッスしたことないくせに)

小学6年生 将来の夢がなくなった

それまで母には将来の夢に関して何も言われていなかった。けれど、長年漫画家を夢見続けている娘が心配になったのか小6のときにこう言われた。

「漫画家はごく一部の人しかお金を稼ぐことができないからねぇ」

私はその瞬間に現実というものを突きつけられ「夢ってお金を稼げないとだめなんだ」「ごく一部なら、私には無理なのか」と思った。と、同時に「お母さんは漫画家を目指すことを良く思っていないんだ」と分かった。

それからは将来の夢がなくなった。小学校の卒業文集で書く将来の夢の欄も、書くことがないからおふざけで「社長夫人♡」と書く始末。

自分がわからないまま大人になる

それ以降本当に、やりたいことや将来の夢が無くて困った。高2のとき、将来のやりたいことを授業で発表する機会があった。皆の発表を聞いて、「なんでみんな夢があるの?どうやったらやりたいことって見つかるの?」と衝撃を受けた。

答えに困った私は「OL」と答えた。オーエル。そもそもこのときはOLがなんのこっちゃも分かっていないのに。ショムニの影響だったのかも。

なにかに夢中になることもなく、大学へ進学。就職後も、とにかく目の前の仕事にがむしゃらに取り組んだ。目指すものが無いから、目の前にあるものに取り組むしかなかった。

それでも落ち込むタイミングがあるたびに私ってどうなりたいの?と考える。でも出てこない。ずっと気持ちを封印していたから、探しても探しても出てきてくれない。

出産を機に、封印した自分の心を探しにいく

32歳で第一子を出産。子どもが産まれて自分の人生とより向き合う時間が多くなった。子どもには好きや得意を伸ばして欲しいと思ってるのに、自分がその人生を送っていないよなぁと思うと、なんだかこのままではいけない気がした。

自己啓発本を読み漁ったり、コーチングを受けたりした。叶えたい100リストとか、理想の人生を描くとか、それっぽいものは片っ端からやった。

私にとってより効果があったのは、自分との小さな約束を守っていくこと。そして「やりたい!」と思ったことをやってみることだった。

1日5分掃除をすると決めたから掃除をする。
部屋をカフェみたいにしたいから照明を変えたり観葉植物を置く。とか。

こんなちょっとしたことではあるけど、この積み重ねで自分に自信がついたのだと思う。なりたい自分を追いかけたら、叶う気がするという気持ちになってきた。これまではどこかで、「どうせ私は」と思っていたのだろう。

これまで心の奥底に隠れていた自分の声が、ようやく聞こえるようになってきた。

おかえり、私の心。ずいぶんと探しましたよ。

いつからだって「なりたい自分」になれる

時間や場所にしばられない自由な生活をしたい。家族と笑顔で過ごしたい。新しい挑戦をし続けたい。

それらを叶える手段として、フリーランスを目指してキャリアスクールに入った。ライターとして活動できるように仕事の応募をしてみた。家族でキャンプを楽しめるようにキャンプグッズを集めた。

なりたい自分、やりたいことがなくて苦しかった20年。そして今36歳の私。夢見るには遅いんじゃない?という不安もあるっちゃある。「なぜ俺はあんな無駄な時間を……」と、私の中の三井寿が言ったりしてる。それでもきっと、これまでの自分があったから今があるのだと思う。

私の人生はまだまだこれからだ。

なりたい自分への旅は続く。


#なりたい自分

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