見出し画像

Don't Let Them Die. 彼らを死なせるな。

高校生の時に友達が自殺したので、ずっと自殺が気になっている。特に中学生や高校生の自殺のニュースはきつい。何とかならないか。

人が本当に「死ぬのだ」と決めてしまうと、それを止めるのはかなり難しい。誰にもそんな能力はないし、権利もない。「どうして死んだらダメなんですか?」と逆に聞かれたとして、相手が納得するような理由が出せるだろうか。

友達が「死ぬ」と言った時、私は「寂しくなるやんか」としか言えなかった。そんな凡庸な言葉くらいで死ぬと決めた人の心は変わらない。その時の彼の表情は、そんな私の心を見透かすような、偽善者を見るような目だった。

彼は死ぬ。私は生きていて欲しい。私は寂しくなる。自殺を止めることは道徳的にも正しいのだろう、が、それは私のエゴで、彼のためではなく、寂しくなるであろう自分の心を守る為に出た「私のための」言葉ではないのか?

彼は「そんなん、すぐ忘れるやろ。」と言った。そして死んだ。当時の私を擁護するとすれば、私はまだ17歳で、知恵も想像力もなかったということ、にしておきたい。当時は「心のケア」やPTSDなんていう言葉もなくて、高校生が自殺しても所詮「受験の悩みか」とう程度で放って置かれた。

それ以来、もう40年以上、何もできなかった罪悪感や無力感を持って生きてきたが、それすら「思い上がり」なのだと思う。もともと私にはそんな力はなかったのだし、罪悪感を感じること自体厚かましい。

その頃周りの友達がぽろぽろと死んで行ったので、なんということはなしに、自分もそんなに長く生きないのでは、と思ったり、年を取るまでに死にたいと思ったり、自分も自殺をするのかと思ったりもした。でも、今もこうしてなんだか生きている。

こうして彼のことを「忘れないで」いることが、彼の「忘れるやろ」の言葉に対する私からの答だと思っている。今度会ったら「忘れてへんかったやろ」と言い返してやりたい。

in memory of my friend of eternal 17


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?